「秋田六郡三十三観音霊場」の版間の差分

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== 概要と一覧 ==
「秋田六郡三十三観音霊場」は、[[長久]]年間([[1040年]]-[[1043年]])に[[横手市|横手]]長者森(御嶽山、[[塩湯彦神社]])の「満徳長者」卜部保昌が[[出家]]して保昌坊と称し、[[西国三十三所]]巡礼をおこない、大仏師[[定朝]]に観音像33体をつくらせ、故郷にもどって現在の[[秋田県]]地方([[雄勝郡]]、[[平鹿郡]]、[[仙北郡]]、[[河辺郡]]、[[秋田郡]]、[[山本郡]]の6郡)の社寺に奉納して霊場を定めたものの、長いあいだに忘却され、荒廃してしまったとして、[[享保]]年間([[1716年]]-[[1735年]])に鈴木定行と加藤政貞の2名が古跡を訪ねて巡礼し、[[和歌]]も添えた巡礼記をのこしたことから、一般にも広まった巡礼所である<ref>[[#お寺|『秋田のお寺』(1997)pp.395-396]]</ref>
 
[[法華経]]においては[[観世音菩薩]]は[[33]]の姿に変化するとも記されることから33という数が格別な意味をもつ数字と考えられたといわれ、東北地方にあっても、近世にあっては諸[[街道]]や[[水運|舟運]]の整備が進み、[[津軽三十三観音霊場]]、[[奥州三十三観音霊場]]、[[最上三十三観音霊場]]、[[信達三十三観音霊場]]などがひらかれ、各地で[[信仰]]と[[レジャー]]を兼ねた[[三十三箇所]]めぐりがさかんとなった。
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== ギャラリー ==
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ファイル:Hoda-zi temple (Akita).jpg|秋田市松原補陀寺の山門
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== 脚注 ==
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== 参考文献 ==