「ジョージ・ギルバート・スコット」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m →‎生涯: 更新
更新
16行目:
|awards = [[RIBAゴールドメダル]](1859年)
}}
サー'''ジョージ・ギルバート・スコット'''('''George Gilbert Scott'''、[[1811年]][[7月13日]] - [[1878年]][[3月27日]])は、[[イギリス]]の[[建築家]]。[[ヴィクトリア朝]]の[[ゴシック・リヴァイヴァル建築]]の中心人物であり、もっとも旺盛な活動をした建築家なのである。生涯におよそ800の建築工事をした
 
== 生涯 ==
スコットは、1811年7月13日、[[バッキンガムシャー]]に住む地方[[英国国教会]]の聖職者の、四番目の子として生まれた。ロンドンのジェームス・エドムストン建築事務所で古典主義建築の修業を勉強始めた。
 
教会建築学派であり[[オーガスタス・ウェルビー・ノースモア・ピュージン|オーガスタス・ピュージン]]的な建築家の最初にしてもっとも重要な建築家が、スコットであった。スコットとの主宰する建築事務所は、何百という教会堂を建てたり修復したりした。
生涯におよそ800の建築工事をしたといわれており、これは個人建築家の活動量としては限界に近い。
 
スコットも大学のデザインで際だっていた。彼はピュージンや教会建築学協会のやり方に従って、[[オックスフォード大学]]のエクセター・カレッジのチャペルに中期尖頭様式を採用した。1863年にスコットは[[ケンブリッジ大学]]のセント・ジョンズ・カレッジに大きなチャペルを増築した。
 
== 代表作==