「マディ・ウォーターズ」の版間の差分

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'''マディ・ウォーターズ'''(Muddy Waters, [[1913年]][[4月4日]] - [[1983年]][[4月30日]])は、[[アメリカ合衆国|米国]]の[[ブルース]]・[[歌手|シンガー]]、[[ギタリスト]]。本名は、マッキンリー・モーガンフィールド(McKinley Morganfield)。シカゴにおいて[[エレクトリックギター|エレキ・ギター]]を使ったバンド・スタイルのブルースを展開し、[[シカゴ・ブルース]]の形成に大きな足跡を残したことから、「シカゴ・ブルースの父」と称される。生涯に6度[[グラミー賞]]を受賞し<ref>[http://www.allmusic.com/artist/muddy-waters-mn0000608701/awards Muddy Waters - Awards : AllMusic]</ref>、没後の1987年には[[ロックの殿堂]]入りを果たした<ref>[http://rockhall.com/inductees/muddy-waters/ Muddy Waters: inducted in 1987 | The Rock and Roll Hall of Fame and Museum]</ref>。
 
その豊富で深淵な声、豪快なボトルネック・ギター、カリスマ的キャラクターで、ブルースの第一人者のひとりとなった。ロック界においても、[[ローリング・ストーンズ]]、[[エリック・クラプトン]]、[[ロリー・ギャラガー]]、[[ポール・ロジャース]]、[[ザ・バジョ・メイオール]]、フリートウッド・マックなど、彼から影響を受けたミュージシャンは多く、その影響力は計り知れない。
 
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第53位<ref>{{Cite web |url=http://www.rollingstone.com/music/lists/100-greatest-singers-of-all-time-19691231/muddy-waters-20101202 |title=100 Greatest Singers: Muddy Waters |author=Rolling Stone |accessdate=2013-05-26}}</ref>。
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==エピソード==
*[[ローリング・ストーンズ]]のバンド名は、マディ・ウォーターズのヒット曲、「ローリング・ストーン」に由来しているのは有名な話である。また彼らが渡米した際、[[チェス・レコード]]を訪れ、マディ本人と面会している。ストーンズのメンバー曰く、その時マディはスタジオの塗装工事をしていたという。
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*[[ローリング・ストーンズ]]のバンド名は、マディ・ウォーターズのヒット曲、「ローリング・ストーン」に由来する。また彼らが渡米した際、[[チェス・レコード]]を訪れ、マディ本人と面会している。ストーンズのメンバー曰く、その時マディはスタジオの塗装工事をしていたという。
*[[ZZトップ]]のビリー・ギボンズは、見学で訪れたマディの生家が、ハリケーンで倒壊していたため、その生家の建材を利用したギターを制作し、実際にこれを使用している。
*[[ジョニー・ウィンター]]は自身マディレーベルからカム・バックを応援し1977年にアルバム「ハード・アゲイン」が発表された。マディはジョニー新譜こと発売「義理の息子」と呼ぶぐらい親い間柄だった。またジョニーはマディの晩年の創作活動生活を支える手助けをしていた。<ref>http://www.allmusic.com/.../the-johnny-winter-sessions-1976-1981-...</ref>
*自身のバンドにギタリストとして参加したいと、売り込みに来た見どころのある若者にチェス・レコードを紹介する。その若者こそが、後の[[チャック・ベリー]]である。
 
==ディスコグラフィ==
*[[1960年]] At Newport(Chess)
*1960年 Sings Big Bill Broozy(Chess)
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==関連項目==
*[[デルタ・ブルース]]
*[[シカゴ・ブルース]]
*[[R&B]]
*[[チェス・レコード]]
 
== 脚注 ==