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==人物==
1990年の[[アジア競技大会柔道競技|アジア大会]]準決勝では、[[古賀稔彦]]に[[出足払]]で有効に近いポイントを取られながらも判定勝ちすると(後日、審判員はこの判定を謝罪した)<ref>「特集 第11回アジア大会柔道競技」[[近代柔道]] [[ベースボールマガジン社]]、1990年11月号、9頁</ref>、決勝では北朝鮮の[[李昌寿]]を[[縦四方固]]で破って優勝した。1991年の[[1991年世界柔道選手権大会|世界選手権]]では、3位決定戦で[[ハイトシュ・ベルタラン]]を技ありで破って3位となった。1992年の[[バルセロナオリンピック]]では準決勝でハイトシュに[[体落]]で敗れて3位に終わった。1993年の[[1993年世界柔道選手権大会|世界選手権]]では決勝でハイトシュを2-1の判定で破って優勝した。1994年のアジア大会で2連覇を達成すると引退を表明した。引退後は韓国代表チームの監督を務めると、2012年現在の[[ロンドンオリンピック]]で金メダル2つをもたらした。2014年には中国の男子代表監督になった。2016年の[[リオデジャネイロオリンピック]]では男子90kg級の[[程訓釗]]が銅メダル務め獲得したことにより、柔道競技で中国男子に初のメダルをもたらすことになった。契約が切れるリオデジャネイロオリンピック後には韓国に戻っ大学で指導にあたという<ref>[http://www.judoinside.com/news/1554/Korean_coach_Chung_Hoon_works_for_China_in_Rio Korean coach Chung Hoon works for China in Rio]</ref>
 
==主な戦績==