「蔵王観光ホテル火災」の版間の差分

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[[蔵王温泉]]の温泉街にあった蔵王観光ホテルは、[[1920年代]]に建築された[[ホテル]]であり施設の陳腐化が進んでいた。さらに増築を重ね、複雑な館内構造となっていた。[[1982年]](昭和57年)[[12月1日]]に「[[防火基準適合表示制度|適マーク]]」の交付こそ受けていたものの、自動[[火災報知機]]がしばしば誤作動を起こしたことから、従業員がシステムを稼働させていなかった。
 
事故当日は[[スキー]]客など99名が宿泊していた。午前3時頃、本館(旧館)4階建1596平方メートルの2階部分にある萩の間[[便所|トイレ]]暖房用[[電気ストーブ]]から出火、折からの強風(事故当日は風速10 - 15m15メートルの吹雪であった)により一気に火の手が回った。従業員らの一時的な消火活動も行われたが停電などにより避難を促す放送などは行えなかった。宿泊客の誘導についても事故の前年に大掛かりな[[避難訓練]]が実施されていたが、この事故では火災があっという間に広がり猛火と猛煙になっ包まれたことで館内全体がパニック状態に陥ったため、避難誘導は一部のホテル従業員を除いてはほとんど行われなかった。その避難誘導も従業員が各自でバラバラに行っており統率が全く取れておらず、犠牲者の多くは複雑な館内の構造から逃げ場を失い倒れていた。
 
宿泊客99名と全従業員のうち大半は避難誘導や自力で外に脱出したが、宿泊客の避難誘導にあたっていたホテル従業員、新宿区の保母([[保育士]])の団体、東京都職員労組の団体など11名が逃げ遅れて一酸化炭素中毒により死亡した。犠牲者は全て本館から発見され、6名が1階の配膳室付近、4名が2階食堂横のトイレ付近でうつぶせに倒れており、1名が3階客室で布団に入ったままの姿で発見されている。また犠牲者のうちの1名はホテル経営者の家族で、もう1名は火災当日に火災報知機のスイッチを切った女性従業員であった。そのほか柏屋旅館に83名、海老屋旅館に10名の宿泊客がいたが、こちらは火が回る前に早急に外に避難しており全員無事であった。
 
豪雪と吹雪の中、密集する温泉街で逃げまどう他のホテルからの避難客や2m2メートルにも及ぶ積雪、道幅の細い道路などに阻まれ、[[消防車]]の到着が遅れた。またホテルの場所が高台の傾斜地だった上、当日は氷点下7℃で道路が完全に凍結していたため足場が非常に悪かったことや肝心の消火用水が凍結していたことなどから消火活動も難航し、放水もままならないまま周囲の温泉宿にも延焼する事態となった。消火活動の際、消防士も凍結による転倒などで2名の負傷者を出している。
 
結果、火元の蔵王観光ホテル2棟、類焼した周辺旅館等5棟が全焼し、午前6時40分にようやく鎮火した。しかし天候が回復せず吹雪が止まなかったため、行方不明者の搜索や犠牲者の搬出作業が始まったのは翌々日になってからであった。このため温泉街のイメージが悪化し、一時的に観光客が減少する余波も生じた。