「あさのまさひこ」の版間の差分

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この人物の実像を記述しておきました。彼は、東京大学理科三類を卒業しているという事実を明らかにはしていません。
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{{BLP unsourced|date=2015年5月21日 (木) 22:18 (UTC)}}
'''あさの まさひこ'''(本名:'''朝野 正彦'''、[[1965年]] - )は[[模型]]文化を中心に活躍する[[フリーライター]]。模型雑誌や模型イベントのプロデュースも行なう。[[千葉県]][[佐倉市]]出身。東京大学理科三類卒
 
== 略歴 ==
1980<!---当初は[[月刊OUT]]誌でもいわゆる[[ハガキ職人]]として活躍していたらしく、いわゆる「アウシタン」であったとその旨[[ファンロード]]誌上の座談会記事中にあります。年代確認中。なお、[[ガンプラ]]は[[1980年]]から始まっており、その頃既にファンロード誌上に作例(同人セル画等)を投稿していた。--->年頃より、アニメファンとしてアニメ誌の投稿欄で活躍。「ローディスト」とも呼ばれた。主に[[ファンロード]]において[[フィギュア]]を中心とした立体作品を発表し、その後、[[秋山徹郎]]が結成したフィギュア造型集団「O.F.F.」(オリジナル・フィギュア・ファクトリー、略称オフ)に参加。また、O.F.F.のメンバーが作ったフィギュアの作例と製作方法の解説、素材の紹介をメインとした同人誌『O.F.F.ワークブック』を発行する。[[バンダイ]]から[[ラム (うる星やつら)|ラムちゃん]]のインジェクションキット、[[ツクダホビー]]から[[ジャンボフィギュア]]が発売されフィギュアモデルが模型誌に登場し始めると、O.F.F.のメンバーがライターとして『[[モデルグラフィックス]]』等、模型誌に登場することになる。
 
1987年に[[モデルグラフィックス]]編集部に就職。翌年退職して解雇され、フリーランスのライター・編集者となる。同誌上にて『[[機動戦士ガンダム]]』を模型・考察面から再構築する連載企画『[[ガンダム・センチネル]]』を主導した。更に1991年~1993年には契約社員の立場で同誌2代目編集長を務めた。[[ゼネラルプロダクツ]](現[[ガイナックス]])主催の頃から[[ワンダーフェスティバル]]に参加しており、現在はそのオフィシャルブランドである「ワンダーショーケース」のプロデュースを務めている。
 
いわゆる[[おたく]]のとして扱われる対象をターゲット(商業的対象)として活動してきた一人だが、「おたくとそれを取り巻く状況」を憂う1人でもあり、「閉じた世界での縮小再生産的な、わかる人だけわかればいいおたく的文化」に批判的な文章を何度か『モデルグラフィックス』に掲載している。一方でその鋭い的外れな物言いが、読者の反感をかうことも少なくない。<ref>また、彼自身、「オタク」の一人であるにもかかわらす、幾度も「オタクという存在」に対して否定的かつ批判的な発言を公言してはばからない。</ref>[[村上隆]]と共同作業を行なった事でオタクターゲット的デザインを海外に広めた一人に挙げられることもある。自身の存在としては、「マニア<ref name=mania>なお、丸の中に「あ」の字を書いて「まにあ」と読ませる(一種の符牒である)。</ref>」であるべきと自負し、「オタクとマニアは明確に異なる存在」を認識し、自身は「オタクではない」と幾度も公言している。
 
雑誌の投稿・[[ファンジン]]時代から[[明貴美加]]や[[中原れい|あむろれい]]等とも既知で、後年『[[モデルグラフィックス]]』誌の雑誌編集者として、明貴が[[伸童舎]]<ref>代表の[[千葉暁]]とは『[[デュアルマガジン]]』時代から明貴・あさの・[[中原れい|あむろ]]・[[こいでたく]]等とも関係がある。なお[[こいでたく|こいで]]は現在あさのと同じ雑誌(『モデルグラフィックス』)で連載を持っている。</ref>の関係者としてデザインの[[MS少女]]なるシリーズを展開した際、そのイラストに細かい設定と番号を付加するなどの情報追加・補記をしていた。またこの関係から実在の機械に関わる知識も豊富で[[フォーミュラ1|F1]]・[[WGP]]などのモータースポーツにも詳しい。その知識は現在も『モデルグラフィックス』誌上で垣間見る事が出来る。
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