「プロ野球ドラフト会議」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
159行目:
[[1968年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|1968年のドラフト]]では[[山本浩二|山本浩司]]([[広島東洋カープ|広島]]1位)、[[田淵幸一]]([[阪神タイガース|阪神]]1位)、[[有藤通世]]([[千葉ロッテマリーンズ|東京]]1位)、[[野村収]]([[横浜DeNAベイスターズ|大洋]]1位)、[[星野仙一]]([[中日ドラゴンズ|中日]]1位)、[[山田久志]]([[オリックス・バファローズ|阪急]]1位)、[[東尾修]]([[埼玉西武ライオンズ|西鉄]]1位)、[[大橋穣]]([[北海道日本ハムファイターズ|東映]]1位)、[[加藤秀司]](阪急2位)、[[大島康徳]](中日3位)、[[金田留広]](東映4位)、[[福本豊]](阪急7位)、[[島谷金二]](中日9位)、[[門田博光]](阪急12位・入団せず)、[[藤原満]]([[福岡ソフトバンクホークス|南海]]4位)、[[稲葉光雄]](広島6位・入団せず)、[[長崎慶一]](阪神8位・入団せず)、[[水谷則博]](中日2位)など、1970年代から1980年代のプロ野球を代表する選手が数多く指名された<ref>http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_november/KFullNormal20071101168.html</ref>。阪急が指名した15名のうち、3名(加藤、福本、門田)が2000本安打を達成し、1名(山田)が200勝を達成している。[[読売ジャイアンツ|巨人]]はこの時、田淵が他球団に指名されてしまった場合には星野を1位で指名すると公言していたが、実際には星野ではなく[[島野修]]を指名し、それを聞いた星野が「ホシとシマの間違いじゃないのか」と発言したことも有名である。島野はこの後、選手としては大成出来なかったが、阪急に移籍・引退後日本のプロスポーツにおけるチームマスコットの[[スーツアクター]]の先駆者となる。100メートルの日本記録を更新し、1964年[[前東京オリンピック|東京オリンピック]]と1968年[[メキシコシティオリンピック]]に出場した陸上選手[[飯島秀雄]]が東京の9位で指名されたことでも話題を呼んだ。
 
[[1989年]]もドラフトが豊作となった年として知られる<ref name="sponichi20141023">{{Cite web|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/10/23/kiji/K20141023009149000.html|title=史上最高ドラフトは46年前 山本浩二、山田久志ら名球会入り7人|publisher=スポーツニッポン|accessdate=2014-10-23}}</ref>。[[野茂英雄]]に史上最多となる8球団の指名が集中し、抽せんで[[大阪近鉄バファローズ|近鉄]]が引き当て入団。その野茂の外れ1位だけでも[[佐々木主浩]](大洋1位)、[[小宮山悟]]([[千葉ロッテマリーンズ|ロッテ]]1位)、[[西村龍次]]([[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルト]]1位)、[[葛西稔]](阪神1位)、[[元木大介]]([[福岡ソフトバンクホークス|ダイエー]]1位・入団せず)といった名前が並び、その他にも[[与田剛]](中日1位)、[[潮崎哲也]]([[埼玉西武ライオンズ|西武]]1位)、[[佐々岡真司]](広島1位)、[[岩本勉]]([[北海道日本ハムファイターズ|日本ハム]]2位)、[[古田敦也]](ヤクルト2位)、[[井上一樹]](中日2位)、[[石井浩郎]](近鉄3位)、[[吉岡雄二]](巨人3位)、[[橋本武広]](ダイエー3位)、[[前田智徳]](広島4位)、[[宮地克彦]](西武4位)、[[新庄剛志]](阪神5位)、[[種田仁]](中日6位)、[[浅井樹]](広島6位)と、メジャーリーグ経験者4名(野茂・佐々木・新庄・小宮山)が輩出されるなど1990年代から2000年代にかけて活躍した選手が多数指名されている。また、後にタレントとなる[[パンチ佐藤]](佐藤和弘)も[[オリックス・バファローズ|オリックス]]に1位指名されている。
 
[[1996年]]はアトランタオリンピックが行われた年で、[[井口忠仁]]、[[今岡誠]]、[[谷佳知]]、[[松中信彦]]ら銀メダルに貢献したメンバーが上位で指名された。他にも[[小笠原道大]]、[[和田一浩]]、[[岩村明憲]]、[[森野将彦]]、[[小坂誠]]、[[柴原洋]]、[[礒部公一]]など後にチームの主力打者に成長するメンバーが指名され、特に打者の人材は当たり年のドラフト会議であった。