「大下英治」の版間の差分

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'''大下英治'''(おおした えいじ、本名:ひではる<ref>[https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E4%B8%8B%E8%8B%B1%E6%B2%BB-1060254 大下英治(おおした えいじ)とは - コトバンク]</ref>、[[1944年]][[6月7日]] - )は、政界、財界、芸能界などの[[ルポルタージュ]]や[[小説]]を執筆する[[作家]]。[[広島県]][[安芸郡 (広島県)|安芸郡]][[府中町]]生まれ。
 
== 略歴 ==
*父親は[[広島市への原子爆弾投下|原爆]]で亡くなり、自身も[[被爆者健康手帳]]を持つ。
*中学卒業後、一旦は[[三菱造船所]]の養成工となり就職するが退職し、高卒資格を得るため[[広島県瀬戸内高等学校]]に通いながら予備校にも通い、[[広島大学]][[文学部]][[仏文科]]卒業。[[電波新聞社]]に就職するが、退職し[[1968年]]大宅マスコミ塾第7期生となる。
*同じ広島育ちの作家[[梶山季之]]のスタッフライターをした。その時の先輩に、[[恩田貢]]や作家になった[[岩川隆]]がいる。
*[[1970年]]に[[週刊文春]]特派記者となり、以降、[[1982年]]まで13年間在籍。
*文春の記者時代に『小説[[電通]]』([[三一書房]]、現[[徳間文庫]])により作家デビューする。次いで月刊『文藝春秋』に執筆した「三越の女帝・竹久みちの野望と金脈」が大反響を呼び、[[三越]]の[[岡田茂 (三越)|岡田茂]]が社長退陣に追い込まれる[[三越事件]]のきっかけともなった。
*[[1983年]]週刊文春から独立し作家に転身。
*[[美空ひばり]]の評伝を本人が亡くなる直前に「[[週刊新潮]]」に連載し、[[新潮社]]から刊行したこともあり、多くのひばり追悼特集番組にテレビ出演した。2001年に[[廣済堂]]文庫で再刊。
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*『地獄の黄金 小説・[[豊田商事]]』サンケイノベルス 1986
*『小説早稲田青春無頼帖』[[読売新聞社]] 1987 「わが青春の早稲田」([[ノン・ポシェット]])
*『殺人列島 犯罪小説集』[[フタバノベルス|双葉ノベルス]] 1987 のち文庫 
*『十三人のユダ 三越・男たちの野望と崩壊』[[新潮社]] 1987 のち文庫 
*『自民党の気になる面々 小説政争』角川文庫 1987
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*『永遠の[[力道山]] プロレス三国志』徳間書店 1991.9 「力道山の真実」祥伝社文庫 
*『小説横綱[[千代の富士]]』毎日新聞社 1991.10
*『慈愛のひと[[皇后美智子|美智子皇后]]』光文社 1991.10
*『蘇える[[松田優作]]』リム出版(Lucky books)1991 のち広済堂文庫 
*『小説・[[都はるみ]] 炎のごとく』徳間書店 1991.2 のち河出文庫