「中村吉右衛門 (初代)」の版間の差分

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[[File:Kichiemon Nakamura I as Takebe Genzō.jpg|thumb|left|200px|『菅原伝授手習鑑』の<br />武部源蔵]]
*熱演型でどんな役でも懸命に演じたので舞台では唾がよく飛んだ。また、役に成りきるときは徹底していて、「熊谷陣屋」の熊谷の扮装で待機していたとき知人に話しかけられても「熊谷が返事できるわけがない。」と言って無視し続けた。
*母かめは、幼い吉右衛門に「お前は成田屋に教えてもらうんだよ。」と叱責し、それまで父歌六のもとに学んでいた芝居の基礎を捨てて無理やり九代目團十郎の下に学ばせるようにした。
*吉右衛門には跡継ぎがいなかった。そこで一人娘の正子は[[松本幸四郎 (8代目)|八代目松本幸四郎]]に嫁ぐ際、父に「男の子を二人は産んで、そのうちの一人に吉右衛門の名を継がせます」と約束したところ、果してその通りに男子ふたりを授かった。長男が父方の「幸四郎」をついだ[[松本幸四郎 (9代目)|九代目松本幸四郎]]、次男が母方の「吉右衛門」を継いだ当代の[[中村吉右衛門 (2代目)|二代目中村吉右衛門]]である。
*正子ははじめ男の子として育てられたが、[[初潮]]が出たとき、吉右衛門は「正子に限ってそんなことがあってたまるか。」と激怒した。