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'''アルバート・ハミルトン・フィッシュ'''('''Albert Hamilton Fish'''、[[1870年]][[5月19日]] - [[1936年]][[1月16日]])は[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[
アメリカ犯罪史で史上最悪の殺人鬼と呼ばれている。
身長165cm、体重58kg。(130 pounds and 5 feet 5 inches tall)
== 若年期・犯罪 ==
ハミルトン・フィッシュとして[[ワシントンD.C.]]で生まれる。この家系では代々[[精神疾患]]患者が多かった。5歳の時、[[父]]の死により[[孤児院]]に預けられ、ここで成長する。この孤児院では教鞭による指導が行われており、フィッシュはこれによって叩かれている。この鞭打ちが、フィッシュに快感をもたらした。[[尻]]をむき出しにして鞭で叩かれ、その最中に勃起した。この環境は、フィッシュに[[SM (性風俗)|サドマゾ]]嗜好を与えたと考えられている。一方で、「反省するたびに鞭打ちを喰らうのだが、これは何の意味も無い。子供たちは、鞭で殴られるたびに悪くなっていった」とも語っている。彼はこの頃を振り返り、自分は鞭打ちを楽しみにする唯一の子供だったと、述懐している。
[[1898年]]、9歳年下の女性と結婚し、6子を儲ける。フィッシュの実子は「フィッシュによる暴力などは無く、一般的な子供時代をすごした。ただ、時折自分を釘が打ち込まれた板で叩くように頼んだものだった」と語っている。後に「オイボレのスカンク野郎」「奴にしてやれることなど何もない」と罵ってもいる。妻との離婚後、家に遊びに来た子供に対して、[[鋲]]を打ちつけた[[板]]を渡して、自分の尻を叩くように言っている。子供から、どうしてこんなことをさせるのか問われると、フィッシュは、「これによって名状しがたい感覚が体を貫く、[[キリスト]]の[[受難]]を越えなければならない」と語っていた。フィッシュは自分の体が殴られるたびに喜び、涎を流して射精し、それを子供たちに見せ付けた。結婚19年目、フィッシュの妻が、近所に住む精神薄弱者と恋に落ち、さらには同居させて欲しいと言い出した。フィッシュは1度2人を別れさせるも彼女は再びその男と密会していたことで、フィッシュは妻を追いやった。彼はしばしば雑誌の恋人募集欄を読み、「板でも[[釘]]でも何でも使って私を叩いて欲しい。あなたの奴隷になりたいのです」というSM行為を懇願する[[手紙]]を、未亡人に送っていた。だが、返事は一通も来なかった。 [[ファイル:Pelvis_of_Albert_Fish_(X-ray).jpg|thumb|200px|針が突き刺さったフィッシュの陰嚢のレントゲン写真]]
塗装工であったフィッシュはその後全米を放浪する。著名な精神科医のフレデリック・ワーサム([[:en:Fredric Wertham|Fredric Wertham]])は、フィッシュの中には[[サディズム]]と[[マゾヒズム]]の両方が強烈に同居していると診断している。報道によると主に性器の周辺に針を打ち込んで自慰行為に耽っていた。相手が見つからないうちは、自分で自分の体を痛めつける必要があった。フィッシュは自分の体の到る所に針を突き刺すことにした。この習慣は彼が逮捕されるまで止まらなかった。自身の[[陰嚢]]に針を突き刺したときの痛さは正気ではいられなかったと述べている。さらには自身の背中の内側や、[[骨盤]]に針を打ち込んであるとも述べている
放浪時、23州に渡り殺人を行ったと公言しており、犠牲者の多くは主に[[黒人]]の貧しい家の出身だった。そして、貧しい黒人たちはフィッシュの犯罪に対して十分な行動ができる見込みが薄かった。彼は犠牲者の遺体を食人し、遺体ばかりではなく[[尿]]や なお、フィッシュ自身の証言によると、爪の裏側に針を通そうとしたが、痛みを快楽に変えることができるフィッシュですら、そのあまりの痛さに途中で止めてしまったという。
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