「ヴェネツィア共和国」の版間の差分
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初期のヴェネツィア共和国では、ドージェが独裁的な権限を持っていた。しかし後にドージェは就任の際に宣誓を求められるようになり、結果として権力は大評議会と共有されることになった。大評議会の定足数は480であり、ドージェも大評議会も互いに相手を無視して決定を行うことはできなかった。
[[1175年]]に[[リアルト]]の有力貴族が小評議会を設立した。これは6人から成るドージェの顧問である。また、[[1179年]]には3人から成る最高裁判所Quarantiaが設けられた。これらは[[1223年]]にシニョ
[[トマス・アクィナス]]は、ヴェネツィア共和国の政体は共和制とドージェによる君主制、そして貴族院による貴族政治と大評議会による民主政治の複合政体であると考えた<ref>''The Political Ideas of St. Thomas Aquinas'', Dino Bigongiari ed., Hafner Publishing Company, NY, 1953. p. ''xxx'' in footnote.</ref>。また、[[ニッコロ・マキャヴェッリ]]は、『[[君主論]]』でヴェネツィアを共和制国家に分類した<ref>Niccolò Machiavelli, ''The Prince'', trans. & ed. by Robert M. Adams, W.W. Norton & Co., NY, 1992. [http://press-pubs.uchicago.edu/founders/documents/v1ch11s1.html Machiavelli Balanced Government]</ref>。
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{{仮リンク|大評議会 (ヴェネツィア共和国)|en|Great Council of Venice|label=大評議会}}({{lang-vec|Mazor Consegio}}, {{lang-it|Maggior Consiglio}})はヴェネツィア共和国の最高決定機関であり、1300年前後に制定されたセッラータと呼ばれる一連の法的措置によって、大評議会議員は貴族階級の世襲制とされていた<ref name="Waguri Juri">桃山学院大学国際教養学部 和栗珠里 ヴェネツィア共和国の外国人貴族 http://ci.nii.ac.jp/naid/110007046766</ref>。国家元首であるドージェも含め重要な国家官職はすべて大評議会議員の中から選ばれた<ref name="Waguri Juri" />。
大評議会には、十人委員会、四十人委員会、シニョ
==== サン・マルコ財務官 ====
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{{仮リンク|四十人委員会 (ヴェネツィア共和国)|en|Council of Forty|label=四十人委員会}}({{lang-vec|Cuarantia}}, {{lang-it|Quarantia}})は大評議会議員から選ばれ司法権限を有していた。
==== シニョ
{{仮リンク|シニョ
== 経済 ==
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