「ピラミッド」の版間の差分

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==== 衰微 ====
クフ王の大ピラミッドを頂点として、その後それをしのぐピラミッドが建設されることはなかった。続く[[カフラー]]王および[[メンカウラー]]王の時代においては規模・技術ともにそれほど劣るものではないピラミッドが建設されており、この3つのピラミッドを総称して三大ピラミッドとも呼ばれるゆえんであるが、その後造営規模は縮小していった。続く[[エジプト第5王朝]]および[[エジプト第6王朝]]期においてもピラミッド建設は続けられるが、石材の代わりにレンガを代用したり、石積みの精緻さも劣るなど、ピラミッドの造営は衰微していった。その後エジプトは古王国期からエジプト第1中間期と呼ばれる混乱期に突入し、この時期にいったんピラミッドの造営は中断する(例えば。その後南部のテーベの王朝が再統一を果たし[[エジプト中王国]]時代が始まるとピラミッド造営は再開され、[[エジプト第12王朝]]の諸王によっていくつかのピラミッドが建設されるが、[[ラフーンのピラミッド]][[ハワーラのピラミッド]]などはそに代表さるこの時代のピラミッドには技術の衰退の跡が顕著であに見られ、日干しレンガによって建造されたこれらのピラミッドは風化によって崩壊し、現代においては小山のような姿をとどめていに過ぎない。ただ一方で、葬祭殿の充実が進んでいったことから、エジプト人の価値観・宗教観の変化が指摘される。また、ピラミッドが王墓でないという説では、ピラミッドは葬祭用の施設の一部にすぎず、墓と合体させて作る場合もあるが、墓の本体ではないとする。
 
=== ピラミッドの建造 ===
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[[大林組]]は[[1978年]]に、現代の技術ならmクフ王の大ピラミッドをどのように建設するかについて研究する企画を実行した<ref>[http://www.obayashi.co.jp/kikan_obayashi/pyramid/p01.html クフ王型大ピラミッド建設の試み] 季刊大林|バックナンバー</ref>。それによれば総工費1250億円、工期5年、最盛期の従業者人数3500人という数字が弾き出された。1立方m当たりの価格は、コンクリートダムが2万4000円前後に対してピラミッドは4万8000円になるという(金額は当時のもの)。なおこの試算に対して、1960年代[[アブ・シンベル神殿]]の移設に重機による5年かけて解体されたのは2200のブロック、それに対してピラミッドは200万個以上と現代でも可能なのかと疑問を呈されることもある<ref>[http://news.infoseek.co.jp/article/postseven_80726 NEWSポストセブン2012年1月14日配信「ピラミッド 20年で完成と言われるが実際は数百年かかったか」]</ref>。
 
=== ヌビアのピラミッド ===
エジプトにおいてピラミッドが建設されなくなったのちも、エジプト文化の影響を強く受けていた南の[[ヌビア]]においてはピラミッド建設が継続され、多数のピラミッドが残存している。
 
== 中南米 ==