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}}'''ヨハン・ボタ'''(Johan Botha, [[1965年]][[8月19日]] - [[2016年]][[9月8日]])は、[[南アフリカ共和国|南アフリカ]]出身の[[テノール]]歌手<ref>[http://www.nytimes.com/2016/09/09/arts/music/johan-botha-dies.html]</ref><ref>[http://www.telegraph.co.uk/obituaries/2016/09/08/johan-botha-tenor-with-a-gloriously-large-voice-and-physique--ob/]</ref><ref>[http://www.operanews.com/Opera_News_Magazine/2008/2/Features/Singing_Saved_His_Life.html operanews.com]</ref>。
 
[[ルステンブルク]]の郵便局長の家に生まれる。幼時より父親の収集した古いレコードを聴いて歌に親しむ。10歳から17歳までジャーミラ・テレンガーに声楽を学んだ後、兵役で2年間空軍に所属し、軍の合唱団で歌った。兵役が終わった後、エリック・ミュラーに学んでテノール歌手としての才能を認められる。1990年にヨーロッパに留学し、1993年に[[パリ]]の[[オペラ・バスティーユ]]で[[ジャコモ・プッチーニ]]の《[[蝶々夫人]]》のピンカートン役を歌って注目を集め、[[ミラノ]]の[[スカラ座]]、[[ベルリン・コーミッシェ・オーパー]]、ハンブルク国立歌劇場などに出演するようになった。1996年から[[ウィーン]]に住んで[[ウィーン国立歌劇場]]に出演するようになり、2003年には同歌劇場から宮廷歌手の称号を得た。1998年には[[オーストリア]]国籍を取得している。
 
癌のためにウィーンで死去。
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{{DEFAULTSORT:ほた よはん}}[[Category:1965年生]]
[[Category:南アフリカ共和国の歌手]]
[[Category:テノール歌手]]
[[Category:北西州 (南アフリカ)出身の人物]]
[[Category:1965年生]]
[[Category:2016年没]]