「サンティアゴ島」の版間の差分

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島は、1460年頃[[アントニオ・ノリ|アントーニオ・ダ・ノリ]]によって発見され、彼はシダーデ・ヴェーリャの地に駐屯地を築いてリベイラ・グランデと名付けた。大陸横断[[奴隷貿易]]が、シダーデ・ヴェーリャを[[ポルトガル]]植民地第2の豊かな都市にした。ポルトガル本国は、イギリス、オランダ、フランス、スペインが奴隷貿易を引き継いだことからカーボベルデの植民地を守ることができず、後に島は[[海賊]]に荒らされるようになった。1712年、海賊に攻撃されたシダーデ・ヴェーリャはもはや首都の役割を果たせず、プライア平野へ首都が移された。ポルトガルの植民地組織によって島の人口は不利益を受け、住民たちは[[アミルカル・カブラル]]と[[ギニア・カーボベルデ独立アフリカ党]]を支持し、1975年に独立を果たした。サンティアゴ島は[[クレオール]]文化における会議の主催国を数回務めている。
 
1831年末、博物学者として[[チャールズ・ダーウィン]]が乗ったイギリス海軍の[[ビーグル (帆船)|ビーグル号]]が、1832年1月16日に本島のポルト・プラヤ港に停泊した<ref>パトリック・トール著、平山廉監修、南條郁子、藤丘樹実訳 『ダーウィン』 《「知の再発見」双書99》 創元社 2001年 33ページ</ref>。
<!--([[ビーグル (帆船)]]および[[:en:Second voyage of HMS Beagle]]の記述と整合が取れないためコメントアウトしておきます。-->