「聖バレンタインデーの虐殺」の版間の差分

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'''聖バレンタインデーの虐殺'''(せいバレンタインデーのぎゃくさつ、[[英語|英]]: St. Valentine's Day Massacre)とは、[[1929年]][[2月14日]]に[[シカゴ]]で起きた[[ノースサイド・ギャングとサウスサイド・ギャング(後の[[シカゴ・アウトフィット]])と間で起きた抗争事件である。別名、'''聖バレンタインデーの悲劇'''、'''血のバレンタイン'''とも呼ばれる。
 
事件犯行サウスサイド・ギャングのボスである[[アル・カポネ]]が指揮していたと言われ、抗争を繰り広げていた[[ジョージ・モラン|バッグズ・モラン]]一家率いるノースサイド・ギャングの[[殺し屋|ヒットマン]]6人及び[[歩行者|通行人]]1人の計7人が[[殺害]]された。この事件は犯人たちが[[パトロールカー|パトカー]]を使い[[警察官|警官]]に扮していたこともあり、全米中の[[マスメディア|マスコミ]]の注目を集めた。
 
== 事件概要 ==
カポネは事件当時は[[フロリダ]]で事情聴取を受けていた。マックガーンは事件後起訴されたが、アリバイを主張して無罪となった。結局、この虐殺の罪では一人も逮捕されなかった。事件後、モランはカポネに対して最早重要な脅威ではなくなり、[[1957年]]まで彼は生き永らえた。
 
この凄惨な事件がマスコミによって大々的に取り上げられると、これまで大衆の人気者だったカポネは一転憎悪の的となり、警察は総力を挙げてカポネ起訴に乗り出すことになる。
 
ちなみに事件現場の倉庫は[[1967年]]に取り壊され、現在は隣接する老人ホームの庭園及び駐車場となっている[http://chicagocrimescenes.blogspot.jp/2008/09/st-valentines-day-massacre.html]。
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