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しかし大浦(津軽)為信に津軽地方を押領されたことの訴えは、秀吉が小田原途上の沼津にて、南部氏の小田原参陣よりも早い3月に、津軽為信と謁見し既に津軽氏へ所領安堵されており、却下された。同年7月、秀吉の奥州遠征の際には[[浅野長政]]と共に先鋒を務めた<ref name="戦国人名事典590"/>。
奥羽仕置後に[[葛西
秀吉の命で[[九戸城]]を蒲生氏郷が改修し、信直は三戸城から居城をここに移し福岡城と改名した。また失領している[[津軽郡 (陸奥国)|津軽3ヶ郡]]([[平賀郡]]、[[鼻和郡]]、[[田舎郡]])の代替地として[[和賀郡]]、[[稗貫郡]]の2ヶ郡が加増され、9ヶ郡10万石の大名と認められて<ref name="戦国人名事典590"/>、11月に嫡子・[[南部利直]]と共に上洛して秀吉に謝している<ref name="戦国人名事典590"/>。
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