茨城県生まれ。[[國學院大學]]大学院日本史学専攻博士課程満期退学。[[帝京大学]]講師を経て、國學院大學文学部・[[芝浦工業大学]]システム工学部講師。日本中世・近世史を専攻するかたわら、独自の日本医道史の研究を進め、学会誌に多くの論文を発表している<ref>『誰も知らなかった江』著者紹介</ref>。
== 著書 ==
*『戦国武将の健康法』(([[新人物往来社]]、1982) 、1982)『戦国武将の養生法』[[新人物文庫]]
*『天下とり健康法 史実と医学があかす徳川家康の養生訓』(([[講談社]]、1982)、1982)
*『読める年表 4 戦国織豊篇』(([[自由国民社]]、1982)、1982)
*『徳川家康の秘密 -最高の経営・管理者と呼ばれた男-』(([[ベストセラーズ]] ワニ文庫、1992)、1992)
*『知られざる「養生日記」- 歴史が明かす賢人健康秘話!!-』((ベストセラーズ ワニ文庫、 1993)、1993)
*『応仁の乱に生きる』上・下((日本放送出版協会、1994、1994年))
*『歴史に学ぶ健康の知恵 心と身体の養生ガイドブック』((中央労働災害防止協会、1995)、1995)
*『歴史をつくった人びとの健康法 生涯現役をつらぬく』((中央労働災害防止協会、2002)、2002)
*『誰も知らなかった[[崇源院|江]]』((毎日コミュニケーションズ マイコミ新書、2010)、2010)
=== 共編著・監修 ===
*『史伝健康長寿の知恵』全5巻 [[吉田豊]]共編纂 (([[第一法規出版]]、1988、1988-89)89)
*『超歴史ミステリーロマン』v.1-3 監修 ((マイクロマガジン社、2007、2007-08)08)
*『豊臣秀吉軍団100人の武将』[[岡田正人]]共監修 ((新人物文庫、2009)、2009)
*『読める年表風雲の戦国乱世 戦国の幕開けから徳川家康の天下平定へ』[[高野澄]],[[百瀬明治]]ほか共著 [[桑田忠親]],[[奈良本辰也]],[[原田伴彦]]監修 ((自由国民社、2011)、2011)
== 論文 ==
*「曲直瀬一渓道三と茶道(一)(二)(三)」(『茶道雑誌』35巻8号・9号・10号、1971、1971年)
* 「「畠山義綱と医道伝授((一)()(二)」()」(『日本医史学雑誌』18巻4号・19・19巻1号、1972、1972年・1973・1973年)
* 「「稲葉一鉄の医道知識と薬方相伝」(」(『国学院大学大学院紀要』5輯、1973、1973年))
* 「「足利将軍義輝の芸・雲和平調停―戦国末期に於ける室町幕政―」(―」(『国学院大学大学院紀要』6輯、1974、1974年))
* 「「足利将軍義輝の芸・豊和平調停((上)()(下)」()」(『政治経済史学』102号・103・103号、1974、1974年))
* 「「武家女性の資産相続―毛利氏領国の場合―」(―」(『國學院雑誌』76巻7号、1975、1975年))
*「曲直瀬一渓道三と足利義輝」(『日本歴史』350号、1977年)
*「曲直瀬道三著述の茶書-『数奇道次第』第三巻について-(一)(二)(三)(四)」(『茶道雑誌』41巻12号・42巻2号・42巻7号・45巻3号、1977年・1978年・1978年・1981年)
* 「「戦国大名毛利氏の和平政策―芸・雲和平の成立をめぐって―」(―」(『日本歴史』367号、1978、1978年))
* 「「美濃三人衆の去就―織田信長の美濃経略―」(―」(『歴史手帳』6巻1号、1978、1978年))
*「曲直瀬道三と数奇大名毛利輝元の交友」(『淡交』385号、1979年)
* 「「戦国大名斎藤氏と茶の湯―稲葉良通相伝の珠光流不住庵梅雪茶書―」(―」(『茶湯』15号、1979、1979年))
*「中世後期乃至近世初期 日本医学史の特質I-道三流医術における神麹の薬方応用例-」(『國學院雑誌』81巻4号、1980年)
*「近世初期の名医 曲直瀬道三の人物と業績」(『医学選枠』28号、1981年)
* 「「豊臣政権の医療体制-施薬院全宗の医学行跡を中心として-」(『帝京史学』2号、1986年)
* 「「豊臣政権の番医―秀次事件における番医の連座とその動向―」(―」(『国史学』133号、1987、1987年))
* 「「豊臣政権における太閤と関白―豊臣秀次事件の真因をめぐって―」(―」(『國學院雑誌』89巻11号、1988、1988年))
* 「「徳川家康公の再評価」(」(『大日光』64号、1992、1992年))
* 「「戦国期毛利氏領国における医療体制刷新の実相―曲直瀬道三の医療教導と元就の医道伝授―」(―」(『帝京史学』8号、1993、1993年))
* 「「戦国期における毛利氏領国の医療と医術」(」(米原正義先生古稀記念論文集刊行会編『戦国織豊期の政治と文化』続群書類従完成会、1993、1993年))
* 「「徳川家康公と医学」(」(『大日光』66号、1995、1995年))
* 「「室町幕府と琉球使節-琉球船貢物点検問題の実相とその意義-」 (-」(『南島史学』45号、1995、1995年))
* 「「豊臣政権下における家康の危機」(」(『大日光』67号、1996、1996年))
* 「「徳川家康の危機管理」(」(『大日光』68号、1997、1997年))
* 「゛「“直江状"”の信憑性」(」(『歴史読本』43巻8号、1998、1998年)
*「家康と秀吉―内府゛“律義”の真相―」(―」(『大日光』69号、1999、1999年))
*「徳川家康の人情と決断―三成゛“隠匿″の顚末とその意義―」((『大日光』70号、2000年))
* 「「近世村落社会における修験同行の存在形態」(」(『鳩山町史研究』2号、2000、2000年))
* 「「松平元康<<徳川家康>>の器量と存在感」(」(『大日光』71号、2001、2001年))
* 「「松平元康<<徳川家康>>の早道馬献納―学説とその典拠の批判を通して―」(―」(『大日光』73号、2003、2003年))
* 「「室町幕府の対明断交と日琉貿易―続添鴻宝秘要抄を通して―」(―」(『南島史学』62号、2003、2003年))
* 「「徳川家康の豊臣政権運営―「―「秀吉遺言覚書」」体制の分析を通して―」(―」(『大日光』74号、2004、2004年))
*「内府((家康))の公儀掌握と関ヶ原合戦」((『大日光』76号、2006年))
* 「「松平家の「記録」を読む」(」(『歴史読本』51巻1号、2006、2006年))
*「曲直瀬道三の「当流医学」相伝」(二木謙一編『戦国織豊期の社会と儀礼』吉川弘文館、2006年)
*「「当流医学」源流考-導道・三喜・三帰論の再検討-」(『史潮』59号、2006年)
* 「「三河三奉行の実像に迫る」(」(『歴史読本』52巻3号、2007、2007年))
* 「「内府(家康)東征の真相と直江状」(」(『大日光』78号、2008、2008年)
* 「「直江状」(」([[花ヶ前盛明]]監修『直江兼続の新研究』[[宮帯出版社]]2009年)
* 「「直江状研究諸説の修正と新知見」(」(『大日光』82号、2012、2012年))
* 「「徳川家康と本草学」(」(笠谷和比古編『徳川家康―その政治と文化・芸能―』宮帯出版社、2016、2016年))
== 脚注 ==
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