「エミー・カーマイケル」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
3行目:
[[ドノヴァー・フェローシップ]]の設立、[[看護師|看護婦]]や教師、伝道者を育成する学校の創設などの活動を行い。信仰に関する著書を多数著した。
 
== 生い立ち ==
エミー・カーマイケルは、信仰のあつい[[長老派教会]]の家庭に生まれた。7人の子供の年長だった。そして[[ケズィック・コンベンション]]の創立者の家に養子となった。
 
10行目:
カーマイケルの父は18歳の時に天に召された。彼女は宣教師候補とは言い難かった。病弱で神経痛に苦しんでいたのである。しかし、[[1887年]]にケズィック・コンベンションで[[中国奥地宣教団]]の創立者[[ハドソン・テイラー]]が宣教の働きについてメッセージするのを聞いたとき、彼女は[[宣教師]]としての召命を確信した。
 
== インドでの働き ==
 
カーマイケルは15月間、[[日本]]に滞在した。その後インドに向かった。彼女は、[[イングランド国教会]]のミッションによって宣教師に任じられた。
 
17 ⟶ 16行目:
 
インドで奉仕している時、若い婦人が手紙で宣教の働きについて尋ねた。エイミーはシンプルに答えた。
{{cquote|宣教の働きは、単純に死ぬことです。}}
 
== 年表 ==
{{cquote|「宣教の働きは、単純に死ぬことです。」}}
*1867年12月6日 [[アイルランド島|アイルランド]]北部、[[ダウン州]]に7人兄弟の長女として生まれた。父を亡くして、ロバート・ウィルソンの養女になる。養父を通して、ケズィック・コンベンションの影響を受ける。
 
==年表==
*1867年12月6日 [[北アイルランド]]、[[ダウン州]]に7人兄弟の長女として生まれた。父を亡くして、ロバート・ウィルソンの養女になる。養父を通して、ケズィック・コンベンションの影響を受ける。
*[[1879年]] ウェスレアン寄宿舎で学ぶ。
*[[1884年]] [[回心]]を経験する。 
30 ⟶ 28行目:
*1951年1月18日 インドで[[召天]]。(83歳)
 
== 著書 ==
*『カルバリの愛を知っていますか』(原題:"If")([[いのちのことば社]])ISBN 4264010071
*『御翼の陰に隠されて』(いのちのことば社)ISBN 4264017238
37 ⟶ 35行目:
*『ミモサ(一度だけ耳にしたみことばを頼りに)』(いのちのことば社)ISBN 4264015030
 
== 伝記 ==
*『ドノヴァーの碧い空-エミー・カーマイケルの祈りと生涯』いのちのことば社
 
43 ⟶ 41行目:
{{大正時代の来日宣教師}}
 
{{DEFAULTSORT:かまいける えみ}}
[[Category:イギリスの著作家]]
[[Category:イギリスの宣教師]]
50 ⟶ 48行目:
[[Category:イギリスの福音主義者]]
[[Category:インド史の人物]]
[[Category:ダウン州出身の人物]]
[[Category:訪日外国人]]
[[Category:ダウン州出身の人物]]
[[Category:1867年生]]
[[Category:1951年没]]