「エンゲルベルト・ドルフース」の版間の差分

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=== オーストリア首相 ===
[[File:KunschackDollfussMiklas1932.jpeg|thumb|240px|left|首相に選出されたドルフース(1932年)]]
首相就任後のドルフースは、[[世界恐慌]]によって引き起こされた問題に取り組むこととなった。[[オーストリア=ハンガリー帝国]]時代の主要工業地帯の大半は、[[サン=ジェルマン条約]]によって[[チェコスロヴァキア]]や[[ユーゴスラビア王国]]に割譲されたため、オーストリアは経済的に困窮していた。しかし、議会においてドルフースは多数派になり得なかった<ref>{{Cite book|title=Österreich I (Die unterschätzte Republik) |last=Portisch |first=Hugo |authorlink=Hugo Portisch |author2=Sepp Riff |year=1989 |publisher=Verlag Kremayr und Scheriau |location=Vienna, Austria |isbn=3-218-00485-3 |page=415}}</ref>。デフレの政策は支持されず、社民党との対立は深まった。こうした中、1933年3月に[[国民議会 (オーストリア)|国民議会議長]]の[[カール・レンナー]]が鉄道従業員の賃金法案に投票するため議長を辞任し、2人の副議長も辞任した。これに対し、ドルフースは「議会が責務を放棄した」ことを口実にミクラスに議会の無期限休会を進言し、警察を動員して議会を閉鎖した。これにより、ドルフースは緊急令を用いて強権的な政権運営に乗り出した([[オーストロファシズム]])。
 
ドルフースが強権支配に乗り出した背景には、ドイツでナチ党の[[アドルフ・ヒトラー]]が首相に就任したことで、[[ドイツ国家社会主義労働者党|オーストリア・ナチス]]が勢力を拡大して議会の多数派になることで、オーストリアが国家として存続出来なくなる危険性があったことが挙げられる{{Refnest|group=注|ファシズム研究者の{{仮リンク|スタンリー・ペイネ|de|Stanley Payne}}によると、予定通り1933年に選挙が実施されていた場合、オーストリア・ナチスは25%の得票を獲得したと指摘している。また、[[ニューヨーク・タイムズ]]は50%の得票を得ると指摘し、中でも[[チロル]]では75%の得票率を得た可能性があると指摘している<ref>Stanley G. Payne, ''A History of Fascism 1914-1945''</ref><ref>{{cite news| url=http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,882197-1,00.html | work=Time | title=AUSTRIA: Eve of Renewal | date=September 25, 1933}}</ref><ref>{{cite news| url=http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,882197-2,00.html | work=Time | title=AUSTRIA: Eve of Renewal | date=September 25, 1933}}</ref>。}}。また、[[ソビエト連邦]]の影響力拡大も脅威の一つであり、ドルフースは5月26日に[[オーストリア共産党]]を、6月19日にはオーストリア・ナチスを非合法化して活動を禁止している。最終的にはキリスト教社会党以外の政党を全て解散させ、[[イタリア王国]]の[[ベニート・ムッソリーニ]]をモデルとした独裁体制を確立した。ムッソリーニはヒトラーに対して好意を抱いておらず、同じ[[カトリック教会|カトリック]]の保守的価値観を持つ盟友としてドルフースを強く支持したが、一方ではドイツとの[[緩衝地帯]]としての価値をオーストリアに見出していた。ドルフースはムッソリーニに宛てた手紙の中で、ヒトラーと[[ヨシフ・スターリン]]の類似性を強調し、オーストリアとイタリアがヨーロッパでの[[国家社会主義]]や[[共産主義]]の拡大を防止することを望んでいた。
 
[[File:EngelbertDolfussTIME1101330925 400.jpg|thumb|200px|[[タイム (雑誌)|タイム誌]]の表紙に掲載されたドルフース(1933年)]]
1933年9月、ドルフースは政権を支援するための傘下グループ{{仮リンク|祖国戦線 (オーストリア)|de|Vaterländische Front|label=祖国戦線}}を組織し、キリスト教社会党と[[護国団]]を統合した。10月には国家社会主義思想を理由に軍を追放されたルドルフ・デルティルがドルフースの暗殺を試みるが、失敗している。翌1934年2月12日、ドルフースは{{仮リンク|共和国防衛同盟 (オーストリア)|de|Republikanischer Schutzbund|label=共和国防衛同盟}}から武器を受け取っていたという理由で社民党員の摘発を始め、これに反発した社民党はドルフース政権に対して蜂起した。蜂起はウィーンや[[リンツ]]を始めとして[[グラーツ]]、{{仮リンク|ブルック・アン・デア・ムア|en|Bruck an der Mur}}、[[ユーデンブルク]]、[[ウィーナー・ノイシュタット]]、[[シュタイアー]]の他に東部・北部・中央部の各都市で起きたが、2月16日には全て警察や護国団により鎮圧された。蜂起の鎮圧後、社民党は活動を禁止され、幹部の大半は逮捕もしくは国外に脱出した([[2月内乱]])<ref>''[https://books.google.com/books?id=IaaJAAAAMAAJ&q=Sozialdemokratische+Partei+verboten+1934&dq=Sozialdemokratische+Partei+verboten+1934&lr=&cd=4 Protokolle des Ministerrates der Ersten Republik, Volume 8, Part 6]''. ISBN 3-7046-0004-0. Google Book Search. Retrieved on February 6, 2010.</ref>。
 
1934年4月30日、ドルフースは新憲法を公布し、5月1日に施行された。「職業共同体」と呼ばれる7つの職能代表からなる各評議会組織が議会に代わって組織され、それは政府に対する補助機関と位置づけられた(一種の[[コーポラティズム]])<ref>Stanley G. Payne, ''Civil War in Europe, 1905-1949'', 2011, p. 108.</ref>。これによって政府は事実上立法・行政の二権を掌握して、イタリアのファシズムや[[ポルトガル]]の[[エスタド・ノヴォ]]を参考にしつつも、カトリックと中世ドイツ的な伝統に支えられた新しい国家体制を打ち立てた。国名も'''{{仮リンク|オーストリア連邦国''' ({{lang|de|BundesstaatStändestaat (Österreich)}}) と改称された。
 
=== 暗殺 ===
[[File:DollfussEnParís1933.jpeg|thumb|220px|left|エンゲルベルト・ドルフース(1933年)]]
[[1934年]][[7月25日]]、8名のオーストリア・ナチス党員が首相官邸に押し入ってドルフースを射殺し、[[クーデター]]を試みた。それは[[アンシュルス|オーストリアのドイツへの併合]]の前兆だった。実行犯は降伏し、処刑された。[[クルト・シュシュニック]]がドルフースに続いて新しい独裁者となった。
1934年7月25日、{{仮リンク|パウル・フードル|de|Paul Hudl}}、{{仮リンク|オットー・プラネッタ|de|Otto Planetta}}ら10人のオーストリア・ナチス第89連隊の党員が首相官邸に押し入ってドルフースを射殺し、[[クーデター]]を試みた({{仮リンク|7月一揆|de|Juliputsch}})<ref>[http://erfurt-web.de/PlanettaOtto&recommend_site ] {{dead link|date=June 2016|bot=medic}}{{cbignore|bot=medic}}</ref><ref>{{cite web|url=http://forum.axishistory.com/viewtopic.php?f=26&t=33686|title=Pics of Planetta and Holzweber (1934 coup) - Axis History Forum|work=Axis History Forum|accessdate=5 July 2015}}</ref><ref>{{Cite news| url=http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,747609-1,00.html | work=Time | title=AUSTRIA: Death for Freedom | date=August 6, 1934 | accessdate=May 2, 2010}}</ref>。事件はドルフースの死に留まらず、オーストリア各地で暴動が発生する事態に発展した。[[ケルンテン州]]ではナチス派が権力を握ろうと暴動を起こすが、反対派により鎮圧されている。ヒトラーはドルフース暗殺を聞き歓喜したが、ムッソリーニの反応を知って狼狽した。
 
滞在先の[[チェゼーナ]]で事件の知らせを聞いたムッソリーニは、事件当時[[ヴェネツィア]]で休暇を過ごしていた護国団指導者{{仮リンク|エルンスト・シュターレンベルク|de|Ernst Rüdiger Starhemberg}}を叱責し、シュターレンベルクは飛行機でウィーンに戻り首相代行に就任し、ミクラスの許可を得て逮捕されたフードルたちと面会した<ref>Richard Lamb, ''Mussolini and the British'', 1997, p. 149</ref>。また、ムッソリーニはオーストリア侵攻を企図していたヒトラーを牽制するために4個師団をオーストリアとの国境地帯に派遣し、同時にオーストリアの独立性をイタリアが保証することを宣言した。その後、[[ボルツァーノ]]にあるドイツの吟遊詩人[[ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ]]の像を取り外して、[[ゲルマニア]]を征服した[[ローマ帝国]]の将軍[[大ドルスス]]の像と交換した。
 
[[File:Dolfus.jpg|thumb|180px|ドルフースと妻子の墓]]
ムッソリーニの強硬姿勢を見たヒトラーはドルフースの死を悼む声明を発表し、事件への関与を否定した。また、副首相[[フランツ・フォン・パーペン]]をウィーン公使に任命してオーストリアに派遣して関係改善に努め、オーストリア・ナチス党員のドイツ入国を禁止した。
 
フードルたちはナチス派の元文部大臣{{仮リンク|アントン・リンテレン|de|Anton Rintelen}}の組閣を求めてダイナマイトを持ち首相府に立て籠もったが、オーストリア軍に投降し絞首刑に処された<ref>{{cite news| url=http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,747609-3,00.html | work=Time | title=AUSTRIA: Death for Freedom | date=August 6, 1934}}</ref>。事件終結後、教育大臣の[[クルト・シュシュニック]]がドルフースの後継として新首相となった。
 
ドルフースの葬儀はウィーンで執り行われ、オーストリアの全人口650万人の内、約50万人の国民が葬儀に参列し、遺体は{{仮リンク|ヒーツィング|de|Hietzing}}に埋葬された<ref>{{cite news| url=http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,747609-5,00.html | work=Time | title=Austria: Death for Freedom | date=August 6, 1934}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.viennatouristguide.at/Friedhoefe/Hietzing/Ehrengraeber/z_dollfuss.htm |title=Vienna Tourist Guide: Dollfuss Hietzinger Friedhof |publisher=Hedwig Abraham |accessdate=6 February 2010}} (includes photographs)</ref>。事件当時、ドルフースの妻子は[[ラケーレ・グイーディ]]の招待を受けて[[リッチョーネ]]に滞在していたため難を逃れた。ムッソリーニはドルフースの妻子の前で涙を流し、盟友の死を悼んだという<ref>{{cite news| url=http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,882197-4,00.html | work=Time | title=AUSTRIA: Eve of Renewal | date=September 25, 1933}}</ref><ref>{{cite web |url=http://www.aspetos.at/de/traueranzeige/rudolf_dollfuss |title=Rudolf Dollfuß - Traueranzeige und Parte &#8224; 05.11.2011 - ASPETOS |deadurl=no |accessdate=January 22, 2013}}</ref>。
 
== 脚注 ==
=== 出典 ===
{{Reflist}}
 
== 参考文献 ==
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