「千春 (プロレスラー)」の版間の差分

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しばらくして[[2001年]]にヤンママレスラーとして、総合格闘技「[[スマックガール]]」のアマチュアマッチに出場。2戦2勝の戦績を残す。そして[[2003年]]8月9日、[[NEO女子プロレス]]の[[後楽園ホール]]大会で5年ぶりにプロレス復帰。以後、フリーとしてNEOにレギュラー参戦。[[2004年]]には[[仲村由佳]]と組んで板橋タッグ王座を獲得<ref name="g2005" />。
 
[[2005年]]1月29日の対[[田村欣子]]戦で眼窩底骨折の重傷を負う。この負傷が原因で[[2006年]]に現役を引退、6月29日に引退興行を行う。この日のみNEO所属選手として出場。引退後はNEOのリングアナウンサーとして、2010年末のNEOの活動休止までリングに上がっていた<ref name=wpro1744>「プロレス界で働く人々第133回 千春」、『[[週刊プロレス]]』No.1744、平成26年7月2日号(6月18日発行)、48-49頁、2014年。</ref>。その後はフリーとなり<ref name=wpro1744 />、[[2011年]][[3月21日]]には[[アイスリボン]]・後楽園ホール大会で3カ月ぶりにコール<ref>[http://ameblo.jp/chiharu-ohana/entry-10834783650.html お知らせ。] ちぃ子のOHANA 2011年3月19日</ref>。しかしオファーらしいオファーはなく、NEO解散後2年間で正式な興行のリングアナを務めたのは2大会のみだった<ref name=wpro1744 />。
 
その後はリングアナから離れ、[[佐野直]]が経営する「スタンリークラブ」に立っていた。