「筑紫哲也」の版間の差分

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* [[大田昌秀]](元沖縄県[[知事]])は朝日新聞記者の時代から[[沖縄県|沖縄]]問題を積極的に報道し続け、『NEWS23』の番組内でも何度も[[在日米軍#在日米軍の抱える課題|在日米軍基地問題]]を取り上げた筑紫の死に際して「沖縄にとってかけがえのない恩人を失い、大きなショックを受けている」とコメントを発表した。
* 『NEWS23』でサブキャスターを務めた[[草野満代]]は「テレビの世界では、ドキュメンタリー番組をコンスタントに作り続けることが難しい状況が続いています。でも『NEWS23』ではよく、20分くらいのドキュメンタリーを入れこみました。ほかのニュースをカットしてでも、ドキュメンタリーを伝える場を守り続けたのが筑紫さんです」と評している<ref>[http://book.asahi.com/special/TKY201010290406.html 女神(2)草野満代さん オンエア3秒前まで雑談していた] asahi.com</ref>。
* [[井上陽水]]は「日曜夕刊!こちらデスク」で自身の楽曲「傘がない」の歌詞の「テレビではわが国の将来の問題を 誰かが深刻な顔をしてしゃべってる」を取り上げた回を視聴し「ジャーナリズムに身を置きながら、ジャーナリズムを突き放して見ることができる。ある意味で、ユーモアがわかる人なんだ」と感じたことを話している。それもあって同番組の最終回に出演し、「傘がない」を含んだ3曲を歌唱した。その後も井上は「NEWS23」に楽曲提供をしたり、筑紫と[[麻雀]]をするなど、親交を深めていった。なお、筑紫と井上には政治や家庭など立ち入ったを一切しないという暗黙の了解が存在しあった。井上は「筑紫さんの功績のひとつは、ユーモアの大切さを意識されていたことだと思います。この真面目な国では、深刻そうに語ることが求められて、ちょっとした笑いや諧謔(がいぎゃく)も『不真面目だ』とか言って、許されないところがありますから。ユーモアを口にしたり受け止めたりするには、余裕がないとできません。番組では、『なかなか面白い冗談を言うな』という感じではかならずしもなかったのですが、ユーモアがもつ可能性に注目していた、という意味で特別だったと思います」「政治家なんかにしてもね、筑紫さんならということで出演した方もいらっしゃるんじゃないでしょうか。鷹揚で優しいからなのか、どんなものでもまずは肯定しようとするスタンスがあったようにも思います」「筑紫さんは『観察者』だったと思います。へたに才能があると『演者』になろうとして、観察者にはなれない。自分が演じるのではなく、演じている誰かを見たり、世の中に紹介したりするという意味で、観察者のプロだったといえるのかもしれません」と評している<ref>[http://book.asahi.com/special/TKY201010290297.html 井上陽水さん(1) 筑紫さんの一言から生まれた「最後のニュース」]asahi.com</ref>。
 
=== 否定的評価 ===