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{{Otheruses|映画技法|その他}}
'''モンタージュ''' (({{Fr|montage) }})は、[[映画用語]]で、[[視点]]の異なる複数の[[カット]]を組み合わせて用いる[[技法]]のこと。元々は[[フランス語]]で「(機械の)組み立て」という意味。[[映像編集]]の基礎であるため、編集と同義で使われることも多い。
 
== 解説 ==
フィルムのつなぎ合わせが独自の[[意味]]をもたらすことは、映画の<!--創生-->創成期から知られていた。たとえば米国[[エジソン社]]の『[[メアリー女王の処刑]](The{{Enlink|The Execution of Mary Stuart)Stuart}}』(1895)では、撮影途中でわざとカメラを停止する「[[中止め]]」を用いて、首がギロチンで落ちるショッキングな演出を行った。また、映画の魔術師と呼ばれる[[メリエス]]は、編集によってさまざまな映像的トリックを試みただけでなく、『[[月世界旅行 (映画)|月世界旅行]](Le({{Fr|Le voyage dans la Lune)Lune}})』(1902)の最後のシーンでは「[[ストップモーション・アニメーション|コマ撮り]](Stop-Motion)」のアニメーションを実現している。
 
この後のモンタージュ技法は、[[純丘曜彰]]によれば、大きく2つの方向へ分岐するとされる。一方はソ連の映画監督[[セルゲイ・エイゼンシュテイン]]に代表される[['''エイゼンシュテイン・モンタージュ]]'''であり、他方は米国の映画監督[[D・W・グリフィス]]に代表される[['''グリフィス・モンタージュ]]'''である。
 
[[エイゼンシュテイン・モンタージュ]]は、当時流行し始めた[[フェルディナン・ド・ソシュール|ソシュール]]の[[構造主義]]の影響を受け、台本の言語的要素を映像に置き換えて編集していく手法であり、エイゼンシュテインの映画『[[戦艦ポチョムキン]]』の「オデッサの階段」がその典型とされる。
 
[[グリフィス・モンタージュ]]は、[[ジークムント・フロイト]]の影響を受けた[[コンスタンチン・スタニスラフスキー]]の演出論に基づくものであり、俳優たちを特殊な状況に陥れた実際を、複数のカメラを用いた[[マルチ・カヴァレッジ]]によって同時撮影し、その時間尺を変えることなく多面的な視点を取り入れて線形に編集していく手法であり、グリフィスの『[[イントレランス]]』のスペクタクルシーンがそのはじまりとされる。
 
その後、[[エイゼンシュテイン・モンタージュ]]は、[[共産主義]]における[[フリードリヒ・エンゲルス|エンゲルス]]の[[質的弁証法]]の応用として、[[ソ連]]およびフランスの[[左翼]]思想家において支持され、同様に、左翼シンパの多かった日本の映画業界においても、映画編集理論の主流とされた。たとえば、[[小津安二郎]]は代表作『[[東京物語]]』において[[別撮り]]の[[カットバック|カット・バック]]を多用している。[[バンク]]を用いる日本の[[アニメ]]もこの系統に属する。また、理論的には、[[メッツ]]らの[[映像記号論]]に継承されて研究されていく。
 
また、[[グリフィス・モンタージュ]]は、当初は多大な撮影予算がかかるために敬遠されてきたが、日本の[[黒澤明]]が代表作『[[七人の侍]]』の戦闘シーンでそのすごみを見せつけた。当初、記録媒体を持たなかったテレビも、複数のカメラで同時撮影し、[[サブ]][[副調整室]])における[[スィッチング]]で同時編集していくため、このスタイルを採ることが多かった。おりしも[[ロシア革命]]と[[スターリニズム]]から大量亡命でスタニスラフスキーの演出論は、戦後、故国[[ソ連]]よりも米国で定着し、[[マーロン・ブランド]]などの俳優に大きな影響を与えていた。[[フランシス・フォード・コッポラ]]はあくまでエイゼンシュテイン・スタイルを好んだが、その次世代の[[スティーヴン・スピルバーグ]]らは、黒澤の感化を受けてグリフィス・スタイルを多用し、今日、[[デジタル撮影]]の普及もあって、これがハリウッドの標準編集形態となっている。
 
[[中条省平]]はフラッシュバックに力点をおく「リズミカルなモンタージュ」は、大正末期の日本映画で大流行し、乱用される傾向があった。時代劇の剣戟場面にも激しいフラッシュバックが応用され、のちに「チャンバラ・モンタージュ」とさえ呼ばれたという<ref>(『フランス映画史の誘惑』[[集英社新書]] 2003年p.66)。</ref>。