「石狩湾新港」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
107行目:
 
== 沿革 ==
明治時代にファンゲント、C・S・メーク、[[岡崎文吉]]、[[広井勇]]らによって港湾建設構想が立てられたが、当時の港湾土木技術では余りにも大掛かりな工事となるため実現困難であった。1936年(昭和11年)に旧北海道庁の技師[[伊藤長右衛門]]と中村廉次により、銭函浜に外港を設けて新川河口を掘削して工業地帯を造成する計画案が立てられた。1940年(昭和15年)には政府の調査費もついて「石狩湾修築並びに工業地帯造成計画」が策定されたが、第二次世界大戦の戦局悪化のため実現には至らなかった。戦後、小樽市や北海道が石狩湾に新たな港を建設する計画を持っていたが{{Sfn|石狩湾新港の歴史的変遷|2008|p=1}}、より広域的な港湾建設が求められるようになって潮流や建設条件などの検討を進めた結果、現在地が計画地になった{{Sfn|石狩湾新港の歴史的変遷|2008|p=1}}{{Sfn|PORT REPORT①|2008}}。
 
1970年(昭和45年)の「第3期北海道総合開発計画」において、[[道央]]の新たな流通と生産機能を分担する拠点港の建設と背後地域の開発が決定した<ref>{{Cite web |url=http://www.hkd.mlit.go.jp/kanribu/keikaku/old_keikaku/03.html |title=第3期北海道総合開発計画 |date=1970-07-10 |work=[[北海道開発庁]] |publisher=北海道開発局 |accessdate=2016-06-07}}</ref>。1972年(昭和47年)には北海道の長期的かつ飛躍的発展を先導する開発事業として位置づけられ、「石狩湾新港港湾計画」が決定した。当初は北海道が単独で港湾管理者となり管理運営していたが、国直轄事業として本格的に港湾整備が始まると背後地域の開発を推し進めていくため、1978年(昭和53年)北海道・小樽市・石狩町(現在の石狩市)による石狩湾新港管理組合を設立した。