「阿久沢毅」の版間の差分

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スポーツライターの[[二宮清純]]は、著書『最強のプロ野球論』の中で「最強のスラッガー」を複数人列挙したが、阿久沢はプロ入りしなかった選手の中で唯一その名を連ねており、二宮はその理由として以下のエピソードを挙げている。
 
第50回選抜高等学校野球大会での活躍から、桐生高校が大阪高野連に招待され[[PL学園高校]]との練習試合を行った際、試合前の練習中から桁違いの打球を連発し、練習試合では二番手投手、[[金石昭人]](のち広島ほか)から高校生離れした飛距離の本塁打を見せ付ける。[[1974年]]から高校野球に[[金属バット]]が導入されて力任せに飛距離を伸ばす打者が増加する傾向の中で、柔軟性も兼ね備えた阿久沢のバッティングは木製バットの使用が義務付けられているプロ野球でも十分に活躍できたと推測されている。また当時の『[[週刊ベースボール]]』でも、[[木田勇]](のち日本ハム他)や[[森繁和]](のち中日投手コーチ他)といった[[社会人野球]]の有力選手に混じって高校生として唯一ドラフト一位候補に挙げられていた。
 
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