「電気炉製鋼法」の版間の差分

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日本では[[明治]]末期頃から研究が始まり、いち早く近代化をすすめるため[[1911年]](明治44年7月)に[[長野県]]の土橋製鋼所がエール式小型電気炉を東京帝国大学教授で鉄鋼材料学の権威[[俵国一]]博士(のちに日本鉄鋼協会設立の立役者の一人)の指導のもとで設置している。
 
[[1912年]](大正元年)に[[島根県]]の[[松江電灯|松江電灯株式会社]]([[中国電力]]の前身の一つ)が[[斐伊川]]上流に[[水力発電所]]を完成させた。これに伴い電気炉実験のための電力使用の許可を安来鉄鋼合資会社(安来製鋼所、国産工業、日立製作所を経て現在の[[日立金属]]安来製作所・冶金研究所に至る)が得ている。この山陰出雲の安来には古代から続くたたら製鉄の鉄素材を船で輸送する十神山が美しい港町として栄え、そこに近代製鉄を行おうとする試みで出来た安来鉄鋼合資会社は山奥のこの電力をつかうことが出来なかった。この地は出雲神話で有名なスサノオノミコトの神話があり砂鉄鉄山やたたら場に近いので実験に使用する試料には恵まれていたが、地理的に大変不便であり実験に必要な電極の入手が容易ではないというハンディがあったようだ。そこで松江電灯株式会社に助力を求め石油入手が容易な[[松江市]]内の[[火力発電所]]構内に電気溶解実験の場に送電してもらい電気利用のほかガス利用の実験も行っており熱処理等の具体的生産活動の礎を作ったとされる。
 
その後、1915年(大正4年)に安来鉄鋼合資会社の比較的改質装置のととのっていた松江第2工場(現・松江市南田町)で日本初の電気炉(伊・スタッサノ式1t)が稼動を始めた。翌年、松江では電気炉による[[高速度鋼]](高級特殊鋼、工具鋼の一種)を溶解を開始し日本初の電気製鋼量産化がスタートし本格的な流通販売が始まった。