「F-8 (戦闘機)」の版間の差分

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== 活躍 ==
[[ファイル:F-8U Crusader.jpg|thumb|300px|[[カリフォルニア州]][[サンタローザ (カリフォルニア州)|サンタローザ]]のパシフィックコースト航空博物館で屋外展示されているF-8。[[アクチュエータ]]で主翼を僅かに上げている点に注目]]
部隊配備は[[1958年]]3月から開始された。その後、F-8は[[ベトナム戦争]]に投入された。アメリカ海軍は他に最新の[[F-4 (戦闘機)|F-4 ファントムII]]を投入していたが、[[ミサイル万能論]]の影響で[[航空機関砲]]を搭載せず[[空対空ミサイル]]のみに頼り、爆撃能力を重視し機動性をある程度犠牲にしていた。こうした中、軽快な運動性と4丁の20mm[[機関砲]]を搭載していたF-8は「最後のガンファイター」と呼ばれ、多数の[[MiG-17 (航空機)|MiG-17]]等の敵機を撃墜し、一時期はF-4の撃墜数を上回ったこともあった。そのことから「ミグ・スター」とも呼ばれた。ただし、機銃のみによる撃墜は無かった(2機をミサイル、ロケット弾との併用で撃墜。なお、F-8に搭載された[[コルト Mk12|コルトMk.12]]は信頼性に乏しかったともされる<!--「世界の傑作機」などの書籍によります-->)。
 
ベトナム戦争全体を通し、アメリカ空海軍海兵隊機種で最高の[[撃墜対被撃墜比率|キルレシオ(撃墜対被撃墜比率)]]、8:1を持つ。また撃墜数はF-4の半分(18機)であったものの、作戦および空中戦への延べ参加機数は遥かに少なかったことを勘案すると、大変効果的に敵戦闘機を抑えたと見ることができる。