「ガイウス・ユリウス・カエサル」の版間の差分

編集の要約なし
(robot Adding: br:Caius Julius Caesar Modifying: tr:Jül Sezar)
[[画像:Hw-caesar.jpg|right|thumb|ガイウス・ユリウス・カエサル]]
'''ガイウス・ユリウス・カエサル'''('''Gaius Julius Caesar''', [[紀元前100年]]7月13日 - [[紀元前44年]]3月15日、なお月日は生年は[[太陰暦]]である[[ローマ暦]]、死亡の月日は[[ユリウス暦]])は、[[古代ローマ]]([[共和政ローマ]])の[[政治家]]で軍事的指導者。また文筆家としても有名。呼び名に関しては[[英語]]読みで'''ジュリアス・シーザー'''(Julius Caesar)と呼ばれ、[[ウィリアム・シェイクスピア|シェークスピア]]による同名の[[ジュリアス・シーザー (シェイクスピア)|戯曲]]がある。また[[ドイツ語]]にならい'''ツェーザー'''と読まれることもある。”'''[[カエサル]]'''”の名は、後年[[君主]]を指す名詞となった。<br>
呼び名に関しては[[英語]]読みで'''ジュリアス・シーザー'''(Julius Caesar)と呼ばれ、[[ウィリアム・シェイクスピア|シェークスピア]]による同名の[[ジュリアス・シーザー (シェイクスピア)|戯曲]]がある。また[[ドイツ語]]にならい'''ツェーザー'''と読まれることもある。<br>
“'''[[カエサル]]'''”の名は、後年[[君主]]を指す名詞となった。
 
[[ドイツ]]の[[ローマ法]]学者である[[テオドール・モムゼン]]には、「ローマが生んだ唯一の創造的天才」と称された。
[[Image:Julius caesar.jpg|thumb|300px]]
=== 生い立ち~政治キャリアのスタート ===
古代ローマの古くからの名門貴族([[貴族|パトリキ]])であるユリウス氏族に属するカエサル家の子としてローマに生まれる。<br>
古代ローマの古くからの名門貴族([[貴族|パトリキ]])であるユリウス氏族に属するカエサル家の子としてローマに生まれる。父は同名のガイウス・ユリウス・カエサル、母は、アウレリア。父の妹[[ユリア]]が[[ガイウス・マリウス]]に嫁いでいたため幼少の頃より民衆派(ポプラレス)と目されていた。[[紀元前84年]]に有力な民衆派の[[ルキウス・コルネリウス・キンナ]]の娘であったコルネリア (Cornelia) と結婚。マリウスやキンナの政敵である[[ルキウス・コルネリウス・スッラ]]が[[独裁官]]になると、スッラはカエサルとコルネリアとの離婚を命じたが、カエサルは従わず、[[紀元前81年]]ローマから逃走した。スッラが[[紀元前78年]]に逝去すると、ローマに帰還した。コルネリアは[[紀元前68年]]に逝去し、その後はスッラの孫であるポンペイア(Pompeia)と結婚した。ポンペイアは裕福だったため、カエサルはその財産を買収や陰謀に使い、政治的なキャリアを積み重ねていった。[[紀元前65年]]には[[アエディリス|高級按察官]](aedilis curulis)に就任。[[紀元前63年]]には[[最高神祇官]] (pontifex maximus) に就任。[[紀元前62年]]には[[法務官]](praetor)に就任した。また、カエサルには多くの愛人がいたが(カエサルには「ハゲの女たらし」という異名がある)、"ポンペイアが女装した情夫を引き入れた"というスキャンダルに対しては、自らは女装して侵入した犯人の[[クロディウス]]の弁護を行ないながらも、「疑われること自体不名誉である」として[[紀元前62年]]に妻と離婚した。
父は同名のガイウス・ユリウス・カエサル、母は、アウレリア。<br>
父の妹[[ユリア]]が[[ガイウス・マリウス]]に嫁いでいたため幼少の頃より民衆派(ポプラレス)と目されていた。<br>
古代ローマの古くからの名門貴族([[貴族|パトリキ]])であるユリウス氏族に属するカエサル家の子としてローマに生まれる。父は同名のガイウス・ユリウス・カエサル、母は、アウレリア。父の妹[[ユリア]]が[[ガイウス・マリウス]]に嫁いでいたため幼少の頃より民衆派(ポプラレス)と目されていた。[[紀元前84年]]に有力な民衆派の[[ルキウス・コルネリウス・キンナ]]の娘であったコルネリア (Cornelia) (Cornelia)と結婚。マリウスやキンナの政敵である[[ルキウス・コルネリウス・スッラ]]が[[独裁官]]になると、スッラはカエサルとコルネリアとの離婚を命じたが、カエサルは従わず、[[紀元前81年]]ローマから逃走した。スッラが[[紀元前78年]]に逝去すると、ローマに帰還した。コルネリアは[[紀元前68年]]に逝去し、その後はスッラの孫であるポンペイア(Pompeia)と結婚した。ポンペイアは裕福だったため、カエサルはその財産を買収や陰謀に使い、政治的なキャリアを積み重ねていった。[[紀元前65年]]には[[アエディリス|高級按察官]](aedilis curulis)に就任。[[紀元前63年]]には[[最高神祇官]] (pontifex maximus) に就任。[[紀元前62年]]には[[法務官]](praetor)に就任した。また、カエサルには多くの愛人がいたが(カエサルには「ハゲの女たらし」という異名がある)、"ポンペイアが女装した情夫を引き入れた"というスキャンダルに対しては、自らは女装して侵入した犯人の[[クロディウス]]の弁護を行ないながらも、「疑われること自体不名誉である」として[[紀元前62年]]に妻と離婚した。<br>
[[紀元前65年]]には[[アエディリス|高級按察官]](aedilis curulis)に就任。[[紀元前63年]]には[[最高神祇官]] (pontifex maximus) に就任。[[紀元前62年]]には[[法務官]](praetor)に就任した。<br>
また、カエサルには多くの愛人がいたが(カエサルには「ハゲの女たらし」という異名がある)、“ポンペイアが女装した情夫を引き入れた”というスキャンダルに対しては、自らは女装して侵入した犯人の[[クロディウス]]の弁護を行ないながらも、「疑われること自体不名誉である」として[[紀元前62年]]に妻と離婚した。
 
==== 妻子と愛人 ====
*コッスティア:騎士階級の娘、婚約のみ
*コルネリア (Cornelia):(Cornelia):ルキウス・コルネリウス・キンナの娘。最初の妻
**[[ユリア]]:長女、ポンペイウスと結婚、紀元前54年死去
*ポンペイア (Pompeia):(Pompeia):二番目の妻、紀元前62年離婚
*カルプルニア:ルキウス・ピソの娘。最後の妻。
*セルウィリア:愛人。マルクス・ユニウス・ブルートゥスの母
 
=== 三頭政治 ===
[[紀元前60年]]、執政官をめざすカエサルは、[[オリエント]]を平定して凱旋した自分に対する[[元老院]]の対応に不満を持った[[ポンペイウス]]と結び[[執政官]]に当選する。ただこの時点で、すでに功なり名を成したポンペイウスに対し、カエサルはたいした実績もなく、ポンペイウスと並立しうるほどの実力はなかった。そこでポンペイウスより年長で、騎士階級(経済界)を代表し、スッラ派の重鎮でもある[[マルクス・リキニウス・クラッスス|クラッスス]]を引きいれてバランスを取った。ここに[[三頭政治]]が結成される。民衆派として民衆から絶大な支持を誇るカエサル、元軍団総司令官として軍事力を背景に持つポンペイウス、経済力を有するクラッススの三者が手を組むことで、当時強大な政治力を持っていた[[元老院]]に対抗できる勢力を形成した。<br>
民衆派として民衆から絶大な支持を誇るカエサル、元軍団総司令官として軍事力を背景に持つポンペイウス、経済力を有するクラッススの三者が手を組むことで、当時強大な政治力を持っていた[[元老院]]に対抗できる勢力を形成した。
 
=== ガリア遠征 ===
[[紀元前58年]]、カエサルはガリア・キサルピナおよびガリア・トランサルピナを任地とする属州総督に就任した。<br>
[[紀元前58年]]、カエサルはガリア・キサルピナおよびガリア・トランサルピナを任地とする属州総督に就任した。カエサルは、ヘルウェティー族のローマ属州ガリア通過要求を拒否した。これを契機に、ヘルウェティー族との間で戦争状態になった。これが彼のガリア遠征の発端である。カエサルはガリアの諸部族を制圧した。またガリア人を脅かしていた[[ゲルマニア]]にも侵攻し、[[ゲルマニア人]]のガリア進出を退けた。また[[紀元前55年]]には、海をこえて[[ブリタンニア]]にも進出した。この遠征によりカエサルはガリア全土をローマ属州とした。カエサルはガリア遠征について、自ら著書[[ガリア戦記]]にまとめている。
カエサルは、ヘルウェティー族のローマ属州ガリア通過要求を拒否した。これを契機に、ヘルウェティー族との間で戦争状態になった。これが彼のガリア遠征の発端である。カエサルはガリアの諸部族を制圧した。<br>
またガリア人を脅かしていた[[ゲルマニア]]にも侵攻し、[[ゲルマニア人]]のガリア進出を退けた。また[[紀元前55年]]には、海をこえて[[ブリタンニア]]にも進出した。この遠征によりカエサルはガリア全土をローマ属州とした。<br>
カエサルはガリア遠征について、自ら著書[[ガリア戦記]]にまとめている。
 
カエサルはこの戦争でガリア人から多数の勝利を得、ローマでの名声を大いに高めた。<br>
カエサルはこの戦争でガリア人から多数の勝利を得、ローマでの名声を大いに高めた。同時にガリア人から略奪した莫大な戦利品はカエサルがローマを離れながらも自らの支配を強化する資金源となった。さらに長期間に渡る遠征を共にした軍団は精強になり、共和国にではなくカエサル個人に対し忠誠を抱くようになった。これらのガリア征服を通して蓄えられた実力はカエサルが内戦を引き起こす際の後ろ盾となったのみならず、ローマの共和派のカエサルに対する警戒心をより強くさせ共和派の側からも内乱を誘発させかねない強攻策を取らせることとなった。<br>
これらのガリア征服を通して蓄えられた実力はカエサルが内戦を引き起こす際の後ろ盾となったのみならず、ローマの共和派のカエサルに対する警戒心をより強くさせ共和派の側からも内乱を誘発させかねない強攻策を取らせることとなった。
 
カエサルはこの戦争でガリア人から多数の勝利を得、ローマでの名声を大いに高めた。同時にガリア人から略奪した莫大な戦利品はカエサルがローマを離れながらも自らの支配を強化する資金源となった。さらに長期間に渡る遠征を共にした軍団は精強になり、共和国にではなくカエサル個人に対し忠誠を抱くようになった。これらのガリア征服を通して蓄えられた実力はカエサルが内戦を引き起こす際の後ろ盾となったのみならず、ローマの共和派のカエサルに対する警戒心をより強くさせ共和派の側からも内乱を誘発させかねない強攻策を取らせることとなった。
=== ローマの内乱 ===
カエサルがガリアに遠征していた[[紀元前53年]]、三頭政治の一角であるクラッススが[[パルティア王国]]攻略中に戦死した。これにより、三頭政治は崩壊し、元老院派に取り込まれたポンペイウスとカエサルとの対立が顕在化する。<br>
[[紀元前49年]]カエサルのガリア属州総督解任および本国召還を命じる'''元老院最終勧告'''が発布される。カエサルは自派の護民官がローマを追われたことを名目にして、軍隊の進入を禁じられていた首都へ軍を向け国家を内乱へと導く。ローマ国境のルビコン川を渡る際、彼は有名な言葉「''alea jacta est''(賽は投げられた)」を残している。<br>
ローマ国境のルビコン川を渡る際、彼は有名な言葉「''alea jacta est''(賽は投げられた)」を残している。
 
ルビコン川を越えたカエサルの行動は迅速だった。即日リミニ入城、[[アドリア海]]沿いにイタリア半島の制圧を目指した。対するポンペイウスはローマにあったため即時の軍団編成を行なえず、ローマおよびイタリア半島を放棄し自身の勢力地盤であったギリシアに離脱、軍備の再編成を行なった。これによりカエサルはローマの実質的な支配権を手中にした。<br>
対するポンペイウスはローマにあったため即時の軍団編成を行なえず、ローマおよびイタリア半島を放棄し自身の勢力地盤であったギリシアに離脱、軍備の再編成を行なった。<br>
これによりカエサルはローマの実質的な支配権を手中にした。
 
その後、スペインにいるポンペイウス派の将軍を倒し、ローマにもどったカエサルは2回目の[[執政官]]当選を果し、万全の体制でギリシアのポンペイウスを追撃する。緒戦のドゥラキウムの戦いでは撤退の憂き目にあったものの、[[ファルサルスの会戦]]で圧勝。ポンペイウスは逃亡先の[[アレクサンドリア]]で殺害される。
 
=== アレキサンドリア ===
ポンペイウスの死を知ったカエサルは[[古代エジプト|エジプト]]の首都、[[アレキサンドリア]]に上陸した。<br>
ポンペイウスの死を知ったカエサルは[[古代エジプト|エジプト]]の首都、[[アレキサンドリア]]に上陸した。当時、エジプトでは先王プトレマイオス12世の子である[[クレオパトラ7世]]とプトレマイオス13世の姉弟の間で後継者争いが繰り広げられていた。この地でカエサルはクレオパトラ7世と特別な関係となり女王の側に立って政争に介入した。弟王との間で戦われたアレキサンドリア戦役の結果カエサルは弟王を打ち破った。カエサルがクレオパトラ7世に与した理由は諸説あるが、[[フランス]]の[[哲学者]][[ブレーズ・パスカル]]が「クレオパトラの鼻、それがもう少し低かったら、大地の全表面は変わっていたであろう」と著書『[[パンセ]]』で述べているような、彼女の美貌に惑わされたからという訳ではなく、プトレマイオス13世とその周辺が反ローマ的であったため、また、エジプトの掌握をより容易にするためである。
当時、エジプトでは先王プトレマイオス12世の子である[[クレオパトラ7世]]とプトレマイオス13世の姉弟の間で後継者争いが繰り広げられていた。この地でカエサルはクレオパトラ7世と特別な関係となり女王の側に立って政争に介入した。弟王との間で戦われたアレキサンドリア戦役の結果、カエサルは弟王を打ち破った。<br>
ポンペイウスの死を知ったカエサルは[[古代エジプト|エジプト]]の首都、[[アレキサンドリア]]に上陸した。当時、エジプトでは先王プトレマイオス12世の子である[[クレオパトラ7世]]とプトレマイオス13世の姉弟の間で後継者争いが繰り広げられていた。この地でカエサルはクレオパトラ7世と特別な関係となり女王の側に立って政争に介入した。弟王との間で戦われたアレキサンドリア戦役の結果カエサルは弟王を打ち破った。カエサルがクレオパトラ7世に与した理由は諸説あるが、[[フランス]]の[[哲学者]][[ブレーズ・パスカル]]が「クレオパトラの鼻、それがもう少し低かったら、大地の全表面は変わっていたであろう」と著書『[[パンセ]]』で述べているような、彼女の美貌に惑わされたからという訳ではなく、プトレマイオス13世とその周辺が反ローマ的であったため、また、エジプトの掌握をより容易にするためである。
 
さらに、カエサルは[[小アジア]]まで足を伸ばし、ポントスの王、ファルナケスを破った。この時に元老院に送った戦勝報告が、かの有名な「Veni, Vidi, Vici (来た、見た、勝った)」である。<br>
=== 終身独裁官~暗殺 ===
[[紀元前46年]]、北アフリカにて抵抗を続けていた共和派の残党を討ち果し(タプトスの会戦)、その支配権を確固としたカエサルはローマ共和国の改革に着手する。属州民に議席を与えることで[[元老院]]への権力集中を防ぎ、機能不全に陥っていた[[民会]]、[[護民官]]を単なる追認機関とすることで有名無実化を図り、さらに自らが終身独裁官に就任し、権力を1点に集中することで、統治能力の強化を図ったのである。この権力集中のシステムは[[元首]]として、後継者の[[アウグストゥス]]に引き継がれ、[[ローマ帝国|帝政ローマ]]誕生の礎となった。<br>
カエサルへの権力集中に対し危機感を抱いた[[マルクス・ユニウス・ブルートゥス|ブルートゥス]]、[[ガイウス・カッシウス・ロンギヌス|カッシウス]]らにより、紀元前44年3月15日カエサルは元老院が開催されていた[[ポンペイウス劇場]]に隣接する列柱廊にて[[暗殺]]された。遺言にて養子のガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌス([[アウグストゥス]])が後継者に指名された。<br>
遺言にて養子のガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌス([[アウグストゥス]])が後継者に指名された。
 
ブルートゥスに[[暗殺]]された際に残した「Et tu, Brute!(ブルータス、お前もか)」という言葉は有名だが、これは後世イギリスの[[シェークスピア]]創作の『ジュリアス・シーザー』の台詞であり、[[スエトニウス]]では「我が子よ<sup>※1</sup>、お前もか」とされているが、実際には言っていないともいわれる。
 
彼の葬儀の日、ローマ市民の多くは英雄の死に涙した。その夜、空をひとつの[[彗星]]が光った。人々はそれを見てカエサルが神に召されるのだと思ったという。この彗星は現在の研究で[[ハレー彗星]]だったことがわかっている。<br>
この彗星は現在の研究で[[ハレー彗星]]だったことがわかっている。
 
※1 ブルータスは嘗ての愛人の息子であった。
* 軍人としてのカエサルも王制、共和制、帝政を通じて古代ローマ最高かそれに次ぐ才能と手腕の持ち主とされている。
 
* 政治家のカエサルに対しては実質ローマ共和国を滅ぼし、帝政へと導いたことから批判する人も少なくない。もっとも、カエサルの生きた共和制最末期のローマにおいては、すでに一部の有力者により元老院の指導体制は崩壊しており、カエサルはいわばその死水を取ったに過ぎないという人も多い。独裁制を反対する人々からはその象徴として嫌われることもあるが、イタリアの生んだ最高の政治家とも言われる。ほぼ間違いなく、[[ナポレオン・ボナパルト]]や[[オリバー・クロムウェル]]といった独裁者達に影響を与えたと思われるが、現在のいわゆる西洋をローマの版図に組み込んだのはカエサルであることから西洋全体がカエサルの影響を受けているという言い方もできるかもしれない。<br>
ほぼ間違いなく、[[ナポレオン・ボナパルト]]や[[オリバー・クロムウェル]]といった独裁者達に影響を与えたと思われるが、現在のいわゆる西洋をローマの版図に組み込んだのはカエサルであることから西洋全体がカエサルの影響を受けているという言い方もできるかもしれない。
 
== 主な著作 ==
 
== カエサルを描いた作品 ==
===小説・戯曲===
* 『ローマ皇帝伝』(上) 上)([[スエトニウス]])
* 『プルターク英雄伝』([[プルタルコス]])
* 『[[ジュリアス・シーザー (シェイクスピア)|ジュリアス・シーザー]]』([[ウィリアム・シェイクスピア]])
* 『ローマ人の物語V ユリウス・カエサル ルビコン以後』(塩野七生)
 
;===映画===
*ジュリアス・シーザー(1953年 原作:ウィリアム・シェイクスピア 監督:[[ジョセフ・L・マンキーウィッツ]])
*ジュリアス・シーザー(1969年 原作:ウィリアム・シェイクスピア 監督:[[スチュアート・バージ]])
* [[カエサル]]
* [[7月]] Julyの[[語源]]
* [[帝王切開]](Caesarean Section)
* [[帝王切開]](Caesarean Section) :カエサルに由来するとの俗説。切開する(caesarea)(caesarea)というラテン語をカエサルと誤訳したという説もある。
* [[シーザー暗号]] カエサルが使った[[暗号]]。
* [[シーザー暗号]]
* [[シーザー暗号]] :カエサルが使った[[暗号]]。
* [[ラテン文学]]
* [[コイントス]]
* [[コイントス]] :彼の顔の側が出ればそれが勝利の証だった。それがこの慣習の起源だといわれる。
* [[トランプ]] [[ダイヤ]]のキングのモデルとされている。このカードだけ真横を向いているが、一説には[[クレオパトラ7世]]の方を向いていると謂われている。
* [[トランプ]]
* [[トランプ]] :[[ダイヤ]]のキングのモデルとされている。このカードだけ真横を向いているが、一説には[[クレオパトラ7世]]の方を向いていると謂われている。
 
== 外部リンク ==
匿名利用者