「サウンド・オブ・ミュージック (映画)」の版間の差分

 
==オーストリアでの評価==
*地元のザルツブルクを含む[[ドイツ語圏]]ではこの映画はヒットしなかった。[[西ドイツ]]ではこの映画の9年前、ミュージカルが作られるより以前の1956年と1958年に同じくトラップ一家の物語を題材とした映画『[[菩提樹 (映画)|菩提樹]]』、『[[続・菩提樹]]』が制作されており、ドイツ語圏での『サウンド・オブ・ミュージック』の不評とは対照的に『菩提樹』は「1950年代で最も成功したドイツ映画のひとつ」とも言われている<ref>[[:de:Die Trapp-Familie<!-- [[:ja:菩提樹 (映画)]] とリンク -->]]</ref>。そしてオーストリアではザルツブルクを除いて、ウイーンでは21世紀に入るまでこの映画は1度も上映されていない。原因はこの映画が当時のオーストリアの現実とまったく異なるものであることに起因する<ref>図説「オーストリアの歴史」120P  </ref>。
*それはナチスが台頭する以前のオーストリアが自由で民主的な国であり、ゲオルク・フォン・トラップがその自由を守るシンボルとしてナチスと戦うように描かれているが、彼の立場は[[オーストロファシズム|オーストリア・ファシズム]]と言われる時代の考え方を支持するものであって、1930年代初めに議会が停止されて社会民主党や労働組合が解散させられ、ナチスも抑え込まれた状況で当時の[[クルト・シュシュニック|シュシュニク]]首相を支持していた。古い体制を支持して結局ナチスとの権力争いに敗れたのであって、映画の中のパーティ―で着た服装の首につけた徽章は古いファシズムを表す徽章であり、決して自由と戦う者とは違うものであった<ref>図説「オーストリアの歴史」121P </ref>。戦後中立を標榜したオーストリアにとって、戦前のオーストリアも自由を抑圧した体制であり、やがてナチスに迎合して合邦された苦い歴史があってトラップ一家はたんなる権力争いに敗れて亡命を余儀なくされたもので、戦前の体制を擁護する映画であると見られている<ref>図説「オーストリアの歴史」 121P </ref>。
*映画で家政婦も執事もナチス党員で監視する悪役のような描写になっているが、西独製作の「菩提樹」では史実に沿って執事が党員でありながら手引きする場面があり、長女アガーテが半世紀が過ぎた後に回想記で感謝の念を述べている。<ref>「サウンド・オブ・ミュージックで学ぶ欧米文化」 143P </ref>
*この映画のナチスに走ったツェラー、ロルフ、フランツを単純な悪役にしていては当時の複雑なオーストリアを理解することは難しい。故に『サウンド・オブ・ミュージック』が日本におけるオーストリアのイメージを最も強く歪めてきたと言われている<ref>図説「オーストリアの歴史」 120P </ref>。
*またゲオルクはオーストリアでは制服が軍事史博物館に展示されるほどの英雄であるが、当時の敵国であった[[イタリア]]などではトラップ艦長は商船を攻撃した極悪人であり、それがイタリアと第二次世界大戦時に同盟国であったドイツに抵抗する英雄で格好よく描かれているという点で反感を買い、本映画の上映が禁止されている町もある。
*映画の冒頭に字幕で出てくる「オーストリア 1930年代 最後の黄金の日々」という時代の表現は、必ずしもオーストリアの歴史を正確に表しているものではない。
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