「サウンド・オブ・ミュージック (映画)」の版間の差分

*音楽好きの家族で合唱団を結成して、音楽のコンクールに出ることになっているが、実際は大恐慌によりゲオルクが資産を預けていた銀行が倒産。無一文となったゲオルクに対して、マリアは神学生に下宿を貸出して金を稼ぎ、その下宿人だった神父フランツ・ヴァスナーが子供たちの音楽指導を行ったのでり、マリアではない。『[[菩提樹 (映画)|菩提樹]]』では、教会へのオルガンの寄付を依頼しにトラップ家を訪れたヴァスナー神父が子供達の歌声を聴いて飛び入りで合唱指導を始める、という設定になっている。
*実際にはオーストリアにおいてもドイツによるオーストリア併合を支持する国民も多く、動画サイトなどではこの映画の演出と異なりドイツ国旗を振りながら喜んでドイツ軍や[[アドルフ・ヒトラー]]を迎えるオーストリア国民の群衆を見ることが出来る。ドイツ軍進駐後にドイツ政府によって行われた国民投票では97%が賛成したとされるが、ドイツ軍進駐前に国民投票を行えば合併拒否が選択されることは確実であったという見解もある。ただしヒトラー自身がオーストリア出身である。詳しくは[[アンシュルス#ドイツによる併合]]を参照のこと。『菩提樹』ではオーストリアの民衆が歓声をあげてドイツ軍を迎える様子を伝えるラジオ放送をトラップとマリアが苦々しい表情で聞いている場面がある。
*この映画は全般的に親衛隊と突撃隊とを混同して演出している。ちなみに、突撃隊はナチス内部の権力闘争の結果この映画の舞台となった1938年にはその活動は下火になっている。ラストで追われるトラップ一家を追跡する一隊の制服は、ツェラーの副官は黒色の制服(親衛隊)だがその下の隊員(ロルフら)は褐色の制服(突撃隊)である。詳細は[[親衛隊 (ナチス)|親衛隊]]と[[突撃隊]]を参照。
*トラップ一家が生まれ故郷オーストリアを離れることを決心したのは、ゲオルクの元に[[召集令状]]が届いたためだけでなく、ドイツ海軍の潜水艦艦長に就任するように要請され、また長男ルーペルトがユダヤ人医師を強制収容所送りにした後の病院に勤務することも要請され、さらに[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]の誕生日に[[ミュンヘン]]のラジオ局でトラップ一家が歌えと要請されて、いずれも断ったことで、オーストリアに留まることが危険であると判断したことと、当時ナチス党員であった執事のハンスがオーストリア国境がもうすぐ閉鎖されることを伝えたことが大きい。<ref>「サウンド・オブ・ミュージックで学ぶ欧米文化」17~18P</ref>
*映画ではコンクールの最中に徒歩で逃げ出してナチス親衛隊の追跡を振り切るが、史実では周囲に全く気づかれないように普段着で家の裏庭を出て、北イタリア行きの列車に乗ってイタリアの南チロルの山に逃げ、国境を越えて[[フランス]]へ列車で移動し、そしてイギリスに渡り、[[サウサンプトン]]から船でアメリカに向った。映画のようにスイスへの山越えではない。ところで何故イタリアに行ったのかについては、当時トラップ一家は戦前オーストリア領で戦後イタリア領になった[[トリエステ]]で市民としてイタリアの市民権を持っていて、まだ独伊同盟が締結される前年で、オーストリア併合に反対したイタリア国内の動きからナチスといえどもイタリア市民権を持つ者を勝手に逮捕することが出来なかったことによる。<ref>「サウンド・オブ・ミュージックで学ぶ欧米文化」 18~19P </ref>
*オーストリアを脱出する山越えのシーンは視覚効果のためか、ザルツブルクからスイスの間を結ぶ通常のルートとは全く異なる場所で撮影された。現実のザルツブルクから歩いて山を越えると、そこはドイツ(バイエルン州)の[[ベルヒテスガーデン]]である。近辺には[[ベルクホーフ|アドルフ・ヒトラーの別荘]]すら存在する。ザルツブルクはドイツとの国境が近く、その半分以上の方角がドイツとの国境である。そしてザルツブルクからスイス国境までの間は相当な距離があり徒歩で移動するには遠すぎる。地元住民の視点においては非常に不自然なラストシーンである<ref>「映画になった奇跡の実話」 鉄人ノンフィクション編集部</ref>。
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