「日本乞師」の版間の差分

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[[1645年]]に[[鄭芝龍]]及び[[崔芝]]が、相次いで日本に軍隊派遣を要請する使者を送った。以後、鄭芝龍の子・[[鄭成功]]及びその子[[鄭経]]と3代にわたって、軍事支援を求めて[[1674年]](日本の[[延宝]]2年)まで30年間に10回の使者を日本に送った。また、この他にも[[黄宗羲]]ら明朝再興を働きかける人々によっても使者が派遣されたが、既に[[鎖国]]体制に入っていた江戸幕府は軍事的な支援には否定的であり、貿易などの形式で[[倭刀]]などの武器や物資の調達を許すことはあっても、支援そのものには黙殺の姿勢を貫いた。また、[[琉球王国]](同国及び[[薩摩藩]]を経由した江戸幕府への支援要請も含む)や南洋諸国、遠くは[[ローマ法王庁]]まで乞師の使者を派遣したことがあったが、いずれも不成功に終わった。
 
== 参考文献 ==
[[石原道博]]、『明末清初日本乞師の研究』、 [[冨山房]]、[[1945年]]
 
== 関連項目 ==