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'''永昌大君'''(ヨンチャンデグン、えいしょうたいくん、영창대군、[[万暦]]34年[[3月6日 (旧暦)|3月6日]]([[1606年]][[4月12日]]) - 万暦42年[[2月10日 (旧暦)|2月10日]]([[1614年]][[3月19日]]))は[[李氏朝鮮]]の第14代国王[[宣祖]]の末息子で唯一の嫡出子。名は㼁。母は[[仁穆王后]]。
 
永昌大君が生まれると、嫡流の後継者を望んでいた宣祖は次男([[庶子]])の[[光海君]]の代わりに永昌大君を[[世子]]に冊封しようと考え、柳永慶など[[北人#歴史|小北派]]の支持を受けた。しかし、[[1608年]]に宣祖が急死すると、幼少の永昌大君ではなく光海君が即位した。