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[[ファイル:Huaca Sol lou.jpg|thumb|200px|right|モチェ遺跡の「太陽のワカ」]]
 
[[メソアメリカ文明]]のピラミッド様建築は、[[陵墓]]・[[天文台]]として造られた物もあったが、基本的には[[神殿]]として建設・使用された。建設された時期は各文明によって異なるが、マヤ文明の場合はもっとも古く存在が確認されているピラミッドは[[セイバル]]遺跡のもので、[[紀元前1000年]]ごろには存在が確認されている<ref>「マヤ文明 密林に栄えた石器文化」p9 青山和夫 岩波新書 2012年4月20日第1刷</ref>。その後ピラミッドはマヤ文明の各都市で相次いで建設されるようになり、紀元前400年以降の先古典期後期には[[エル・ミラドール]]遺跡において高さ70mにも及ぶラ・ダンタ・ピラミッドが築かれた。このピラミッドはマヤ文明において建設された中で最も大きなものである。その後も各都市は盛衰を繰り返しながらピラミッドを建設し、[[古典期]]のティカルや後古典期のチチェン=イッツアなど、現在でも残っているものも多い。マヤ文明の場合、ピラミッドは古典期においてウィツ([[山]])と呼ばれていたように、ピラミッドはそのまま人工の山として認識されており、[[山岳信仰]]との関連が指摘されている<ref>「マヤ文明 密林に栄えた石器文化」p29 青山和夫 岩波新書 2012年4月20日第1刷</ref>。
[[メソアメリカ文明]]のピラミッド様建築は、[[陵墓]]・[[天文台]]として造られた物もあったが、基本的には[[神殿]]として建設・使用された。
 
基本的には上部に神殿を持つため、四角錐ではなく上面が平らになっていて、神殿の土台としての性格が強い。単数ないし複数の辺から神殿に到る[[階段]]が存在するのが基本である。[[マヤ文明]]のものを例に挙げると、[[パレンケ]]の「碑銘の神殿」、[[チチェン=イッツア]]の「カスティーヨ」、[[ティカル]]1号神殿などは9段の基壇を持ち、9層の[[冥界]]を表すと言われているが、全ての神殿の基壇数がそのような意味を持っているわけではない。新しいピラミッド神殿は、古いそれの上に礫・土を積み上げて石材で表面を覆い隠す形で建造されるのが常であり、発掘すると多層構造が明らかになる場合がある。また、エジプトのピラミッドと異なり、内部の空洞はあまりない。