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{{出典の明記|date=2011年4月}}
'''氏寺'''(うじでら)とは、[[飛鳥時代]]に[[古墳]]、特に[[前方後円墳]]に代わって在地首長や[[ヤマト王権]]構成員として君臨してきた有力[[氏族]]によっや王族の新たな祭祀儀礼の場として造られるようになった[[仏教]]の[[寺院]]である。[[中世]]頃からしだいに[[菩提寺]]とも呼ばれるようになった。
 
主な代表例としては[[聖徳太子]]が建立した[[法隆寺]](斑鳩寺)や[[蘇我氏]]が建立した[[飛鳥寺]]、それに[[秦氏]]が建立した[[広隆寺]]がある。
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地方では、その土地の豪族が氏寺を建てているのがみられる。例えば、[[相模国分寺]]のように伽藍様式が天平様式より古い'''法隆寺式伽藍'''であったり、瓦も白鴎様式であったりするのは、[[郡司]]の氏寺を改修して国分寺としたと推定される。また、[[小田原市]]千代台の千代廃寺からも白鳳様式の瓦が出土しており、これも郡司の氏寺であったと考えられている。
 
[[仏教]]が、限られた[[皇族]]や有力[[豪族]]が[[鎮護国家]]という形で王権、国家、地域共同体の維持繁栄を祈るための信仰として受容されたものから拡大して個人を救う信仰としても[[貴族]]社会全般に浸透し、その信仰が[[武家]]や一般民衆まで及ぶ中世に入ると、氏寺も[[古代]]のそれとは変化していった。「[[氏]]」という一グループの信仰や供養を受ける氏寺のみならず、「氏」を構成する「家」それぞれにも氏寺(家寺と呼ぶべきか)が持たれるようになり、それぞれ氏や家に応じた仏事を執り行うようになった。
 
仏事といった信仰的・宗教的行為の役割のみならず、氏寺の存続・発展の為の[[荘園 (日本)|荘園]]経営や、本来主人たる氏や家へ対しての経済援助や助言といった活動を行う氏寺も出てきた。一方的な保護・援助の対象から、氏や家との密接な関係を保ちつつ、存続と自立的発展を目的としており、氏寺の中世的展開として注目される。