「明宗 (朝鮮王)」の版間の差分

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'''明宗'''(ミョンジョン、めいそう、[[嘉靖]]13年[[5月22日 (旧暦)|5月22日]]([[1534年]][[7月3日]]) - [[隆慶 (明)|隆慶]]元年[[6月28日 (旧暦)|6月28日]]([[1567年]][[8月3日]]))は、[[李氏朝鮮]]の第13代国王(在位:[[1545年]] - 1567年)。[[諱]]は{{lang|zh|峘}}([[山部|山偏]]に亘)(ファン、{{lang|ko|}})。[[字]]は對陽(テヤン、たいよう、{{lang|kn|대양}})。[[諡]]は恭憲献毅昭文光粛敬孝大王。君号は慶源大君(キョンウォンデグン、けいげんたいくん)。
 
第11代国王[[中宗 (朝鮮王)|中宗]]の嫡次男で、母は[[文定王后]]尹氏。第12代国王[[仁宗 (朝鮮王)|仁宗]]は異母兄。在位当初から8年間は母親の文定王后尹氏が実権を握っていた。
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=== 王子 ===
 
*順懐世子 李{{lang|zh|暊}}([[日部|日偏]]に頁)(ブ、{{lang|ko|부}})(1551年-1563年) 母は、仁順王后。
: 1561年尹元衡(文定王后の弟)の姻戚である黃大任の娘を世子嬪に選んで冊嬪礼まで終えた(この時王と王妃は黄代任の娘があまり気に入らなかったが[[文定王后]]の言付けに押され仕方なくそのまました。)が、彼女がとても病弱なので良娣に降格させ、恭懐嬪尹氏と嘉礼をあげた。
*世子嬪:恭懷嬪尹氏(?-1592年)