「世界保健機関」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
→‎外部リンク: {{Normdaten}}
編集の要約なし
97行目:
 
=== 天然痘の撲滅 ===
WHOの功績の中でももっとも輝かしいものは、[[天然痘]]の撲滅に成功したことである。天然痘は非常に高い致死率を持ち世界各地で多大な死者を出した病気であったが、症状が明確に判別できるため対処しやすく、ヒト以外に感染することがないため人間のみの対策で対処でき、さらに[[種痘]]による完全な予防法が確立されていたことから、撲滅は原理的には可能であると考えられていた。こうしたことから、[[1958年]]に総会で[[ソ連]]の生物学者[[:en:Viktor Zhdanov|ヴィクトル・ジダーノフ]]が提案<ref name= Fenner2>{{cite book |author=Fenner, Frank|title=Smallpox and Its Eradication (History of International Public Health, No. 6) |publisher=World Health Organization |location=Geneva|year=1988 |chapter=Development of the Global Smallpox Eradication Programme |chapterurl=http://whqlibdoc.who.int/smallpox/9241561106_chp9.pdf|pages=366–418 |isbn=92-4-156110-6 }}</ref>した「世界天然痘根絶決議」の全会一致の可決で撲滅計画は始まったが、当初は人類すべてへの種痘による撲滅を目指していたため、医療や行政の整っていない発展途上国においては対策が行き届かず、撲滅にはほど遠い状態がつづいていた。そこでよこの計画を推進するため、[[1967年]]には特別予算が組まれるとともに、10年後の[[1977年]]までに天然痘を撲滅させることが明確に謳われた。このときに方針が転換され、流行地域において賞金を懸けることで患者を発見し、患者が見つかるとその患者に接触した人物を根こそぎ調べ上げて徹底的にその周囲で種痘を行う、いわゆる封じ込め政策へと移行した<ref>「人類と感染症の歴史 未知なる恐怖を越えて」p24 加藤茂孝 丸善出版 平成25年3月30日発行</ref>。このとき、世界には天然痘の患者が1000万から1500万人いると推定されていた。しかし、WHOや世界各国が種痘など封じ込め政は功行った結果奏し、患者数は激減していった。[[1970年代]]に入ると[[南アジア]]と[[南アメリカ]]で相次いで撲滅が宣言され、[[1977年]]に[[ソマリア]]で発見された患者を最後に天然痘は地球上から姿を消した。そして、患者が発生しなくなってから3年後の[[1980年]]、WHO総会は天然痘の撲滅を正式に宣言した。<ref>「世界地理大百科事典1 国際連合」p330 2000年2月1日初版第1刷 朝倉書店</ref>
 
== 論争となった出来事 ==