「パウロス1世 (ギリシャ王)」の版間の差分

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1917年から1920年までは父王と、1923年から1935年までは兄[[ゲオルギオス2世 (ギリシャ王)|ゲオルギオス2世]]とともに[[亡命]]生活を送っている。ギリシャが[[ナチス・ドイツ]]の支配下にあった[[第二次世界大戦]]時には、[[ロンドン]]ならびに[[カイロ]]の亡命政権に身を寄せ、カイロからギリシャ国民へメッセージを送り続けた。
 
1946年に帰国する。[[ギリシャ内戦]]の最中だった1947年4月1日、子がない兄ゲオルギオス2世が心臓発作で急死したことに伴い、[[推定相続人|王弟]]のパウロスは王位を継承した。従弟で元ギリシャ王子の[[フィリップ (エディンバラ公)|フィリップ・マウントバッテン]]と、[[イギリス君主一覧|イギリス国王]][[ジョージ6世 (イギリス王)|ジョージ6世]]の第1王女[[エリザベス2世 (イギリス女王)|エリザベス]]との婚約が正式発表されたのはそのすぐ後のことだったが、同年11月20日にロンドンで行われた結婚式には[[腸チフス]]を患って出席できなかった。
 
[[王党派|王政派]]に加えて[[共和主義者]]の支持も得て、1949年までにその力をほぼ失っていたギリシャ民主軍との戦闘は事実上終結させることに成功し、特に被害の大きかったギリシャ北部の建て直しを始めることとなった。