「マリア・ルイーザ (パルマ女公)」の版間の差分

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=== 嫡子出産 ===
[[1811年]]の[[3月20日]]に、マリア・ルイーゼはローマ王([[ナポレオン2世]])を出産した。<br>
[[1811年]]の[[3月20日]]に、マリア・ルイーゼはローマ王([[ナポレオン2世]])を出産した。この時、大変な難産で母子のどちらかしか助けられないかもしれないと[[医師]]から聞かされたナポレオンは、ためらわず「母を救え!」と言った。ナポレオンはこの息子の誕生を大喜びし、この子供をとても可愛がった。しかし、マリア・ルイーゼはあまりこの子供に関心を示さなかった。養育係のモンテスキュ夫人は、ローマ王が目覚めるとすぐにマリア・ルイーゼの部屋に連れて行った。しかし、小さい[[子供]]に慣れていないマリア・ルイーゼは、まるで壊れ物に触るように恐る恐る手を触れ、胸に少し抱いただけですぐに子供をモンテスキュ夫人に返してしまった。午後にはマリア・ルイーゼがローマ王の部屋に行くのが習慣だったが、彼女は子供をあやす事もなければ語りかける事もなく、ただ微笑みながら見つめているだけで、女官達が彼女には[[母性]]愛が欠けているのではないかと本気で心配するほど、子供の養育を養育係に任せきりにした。そのため、ローマ王が最もなついたのはモンテスキュ夫人で、彼が口がきけるようになって最初に発した言葉は「ママン・キュ」で、夫人を大いに感激させたという。
この時、大変な難産で母子のどちらかしか助けられないかもしれないと[[医師]]から聞かされたナポレオンは、ためらわず「母を救え!」と言った。ナポレオンはこの息子の誕生を大喜びし、この子供をとても可愛がった。しかし、マリア・ルイーゼはあまりこの子供に関心を示さなかった。<br>
[[1811年]]の[[3月20日]]に、マリア・ルイーゼはローマ王([[ナポレオン2世]])を出産した。この時、大変な難産で母子のどちらかしか助けられないかもしれないと[[医師]]から聞かされたナポレオンは、ためらわず「母を救え!」と言った。ナポレオンはこの息子の誕生を大喜びし、この子供をとても可愛がった。しかし、マリア・ルイーゼはあまりこの子供に関心を示さなかった。養育係のモンテスキュ夫人は、ローマ王が目覚めるとすぐにマリア・ルイゼの部屋に連れて行った。しかし、小さい[[子供]]に慣れていないマリア・ルイーゼは、まるで壊れ物に触るように恐る恐る手を触れ、胸に少し抱いただけですぐに子供をモンテスキュ夫人に返してしまった。午後にはマリア・ルイーゼがローマ王の部屋に行くのが習慣だったが、彼女は子供をあやす事もなければ語りかける事もなく、ただ微笑みながら見つめているだけで、女官達が彼女には[[母性]]愛が欠けているのではないかと本気で心配するほど、子供の養育を養育係に任せきりにした。そのため、ローマ王が最もなついたのはモンテスキュ夫人で、彼が口がきけるようになって最初に発した言葉は「ママン・キュ」で、夫人を大いに感激させたという。
 
=== 夫の没落とパリ脱出 ===
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