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三角地
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貧困に苦しみながら、[[1958年]]から[[1964年]]にかけて、[[韓国放送公社]] (KBS) や[[東洋放送]] (TBC) で楽団長をしていた母方のおじキム・グァンス (김광수) や、[[文化放送 (韓国)|文化放送]] (MBC) の初代楽団長を務めたキム・グァンビン ({{lang|ko|김광빈}}) の楽団、トンファ ({{lang|ko|동화}})、チョンジ ({{lang|ko|천지}})、MBC楽団、キム・インベ ({{lang|ko|김인배}}) 楽団などで[[ドラムセット|ドラムス]]を演奏し、音楽活動を始めた。12人編成のバンドを結成してソウルの{{仮リンク|楽園洞 (ソウル特別市)|label=楽園洞|ko|낙원동 (서울)}}にあったプリンス・ キャバレー ({{lang|ko|프린스 카바레}})などで活動し、名を売った。
 
 
[[1966年]]に腎臓炎を患い、[[1967年]]には{{仮リンク|裵相台|label=裵相台 (ペ・サンテ)|ko|배상태}}が作曲した「戻る三角地」を発表した。 その後、腎臓炎の闘病中であった[[1971年]][[11月7日]]に、病状が悪化し、当時の[[城北区 (ソウル特別市)|城北区]](後の[[江北区 (ソウル特別市)|江北区]]){{仮リンク|弥阿洞|label=弥阿10洞|ko|미아동}}の自宅から病院に向かう救急車の中で死去した。まだ満29才で、未婚であった。 墓は、[[京畿道]][[楊州市]]の新世界公園墓地 ({{lang|ko|신세계 공원묘지}}) にある。
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== その他 ==
* ペ・ホが「戻る三角地」で歌った三角地(地下鉄[[三角地駅]]付近)に建設された{{仮リンク|三角地ロータリー|ko|삼각지로터리}}という龍山の立替交差点は、歌がヒットした[[1967年]]に建設され、[[1994年]]に撤去された。現在は、「戻る三角地」の歌碑、ペ・ホギル(ベ・ホ通り)という街路名、ペ・ホの銅像などが残されている。
* [[1971年]][[11月11日]]、イェチョン会館(예총 회관)で行われた葬式には、簡素な服を着た若い女性が数百メートルも立ち並んだといわれている。
* 韓国の[[エルヴィス・プレスリー]]と称されるほど音楽性をもち、没後の人気もかなり高い歌手である。