「李氏朝鮮」の版間の差分

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竹庵 (会話 | 投稿記録)
→‎ハングルの発明: 文盲率99%以上の根拠が極めて薄弱なため削除。「100人に1人いれば幸いだといえる」という譬えは文盲率99%以上の根拠にならない。
竹庵 (会話 | 投稿記録)
→‎ハングルの発明: 「わずかながら」の程度表現が曖昧。知識人がハングルを用い、庶民が記録を残し、文学作品が作られる規模であれば「わずかながら」とは言いがたい。
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公的な文化の中心となるのは[[中国語]]の[[文語]]である[[漢文]]であり、[[朱子学]]を中心として[[陽明学]]などを取り入れた朝鮮独自の朝鮮朱子学(朝鮮性理学)が発達した。[[漢字]]のみでは[[朝鮮語]]をあらわすことはできないため、朝鮮語を記すために[[1443年]]に[[ハングル]]の起源になる[[訓民正音]]が作成された。ハングルは朝鮮語の表記に適した合理的な文字体系であったが、中華思想に支配された両班ら男性知識人はこれを[[諺文]](オンムン)と呼んで蔑み、李氏朝鮮末期まで正規の文字として使われることはなかった。
 
しかし李朝末期には民衆の文字として下層階級、婦女の間にわずかながら広まった。庶民はこの文字を使い詩や歌を記録し、また私文書に使用した。知識人の中にもハングルを使う者が現れ、朝鮮王朝文学の最高峰とも呼ばれる『[[春香伝]]』などが書かれた。ハングルを使用した文学には、漢字ハングル混用、ハングル専用の2種類があり、前者は主に革新的な両班、中人階級用。後者は庶民のための文学だった。
 
[[Image:Korean celestial globe.jpg|thumb|right|荘英実によって制作された渾天儀]]