「ジョゼフ・ボナパルト」の版間の差分

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[[フランス革命]]が勃発すると、革命政府によって[[ヴィランドリー城]]を差し押さえられたが、後に皇帝に即位したナポレオンによってこの城を与えられた。帝政開始とともに帝国顕官大選挙人に就任。
 
[[1806年]]、ジョゼフはナポリ軍の指揮権を与えられ、直後にナポリ王に即位した。その2年後、義弟[[ジョアシャン・ミュラ]]がナポリ王位を継承し、ジョゼフはスペイン王ホセ1世となる(「[[ジョゼフ・ボナパルト治世下のスペイン]]」も参照)。[[スペイン・ブルボン朝|ボルボン朝]]の内紛に乗じてフランスの影響力を強化せんとする、ナポレオン1世の意図を受けてのことであった。スペインの民はこれに反発し、即位したホセ1世を「ペペ・ボテージャ」({{Lang-es|Pepe Botella}}、[[ホセ]]の愛称形と瓶で「酔いどれホセ」の意味)と呼んだ。しばしば「ジョゼフは流暢なスペイン語を話した」といわれるが、実際にはスペイン王に即位した際に、不承不承学んだに過ぎない。
 
スペインにおいては堅実に国内改革に努め、[[スペイン異端審問|異端審問]]の廃止、[[封建制]]廃止などの旧体制打破を目指した。それらの改革はスペインの貴族、[[ブルジョワジー]]に支持され、スペインの近代化に貢献するかに思われた。しかしその性急な改革は、聖職者や地権者などの激しい反発を呼んだ。また、旧態依然とした体制を改善する[[文治政治]]の試みは、[[武断政治]]を執るナポレオン1世によって阻害された。ホセ1世自身はスペインの[[ゲリラ]]との和解を目指したが、ナポレオン1世はゲリラ征伐の態度で一貫しており、駐留フランス軍による軍事制圧とスペイン国民への弾圧を推し進めた。こうした情勢の中で、ホセ1世はスペイン国民の支持を失っていった。[[半島戦争|スペイン独立戦争]]が激化すると共に[[軍政]]が布かれ、ホセ1世は傀儡と化した。[[1813年]]には廃位され、[[ナポレオン戦争]]終結後は亡命を余儀なくされた。