「聖バレンタインデーの虐殺」の版間の差分

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'''聖バレンタインデーの虐殺'''(せいバレンタインデーのぎゃくさつ、[[英語|英]]: St. Valentine's Day Massacre)とは、[[1929年]][[2月14日]]に[[シカゴ]]で起きた[[ノースサイド・ギャング]]とサウスサイド・ギャング(後の[[シカゴ・アウトフィット]])との間で起きた抗争事件である。別名、'''聖バレンタインデーの悲劇'''、'''血のバレンタイン'''とも呼ばれる。
 
犯行はサウスサイド・ギャングのボスである[[アル・カポネ]]が指揮していたと言われ、抗争を繰り広げていた[[ジョージ・モラン|バッグズ・モラン]]率いるノースサイド・ギャングの構成員4人及び一般人3人の計7人が[[殺害]]された。この事件は犯人たちが[[パトロールカー|パトカー]]を使い[[警察官|警官]]に扮していたこともあり、全米中の[[マスメディア|マスコミ]]の注目を集めた。