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=== 大日本帝国海軍の軍属 ===
[[大日本帝国海軍]]では、軍艦には、傭人と総称される[[理容|理髪師]]や[[クリーニング|洗濯夫]]が搭乗していた<ref>ただし、厳密には傭人は正規の軍属ではない。食堂の営業のような場合、概ね責任者のみが正規職員たる軍属の雇員であり一般従業員はいわば[[嘱託職員]]に近い身分の傭人となる</ref><ref>大きな艦や艦隊旗艦には「割烹」と呼ばれた炊事専門の軍属が搭乗している場合もあった。「割烹」の階級は傭人であったが、高官の食事を作るという特性上、一流ホテルのコック並みの腕前が必要とされたため、昭和15年当時で月給が300円と高給取りの者も存在した。(藤田昌雄『写真で見る海軍糧食史』[[光人社]]、2007年発行・95-96頁及び108-110頁参照)</ref>。彼らは艦内編制上「運用科」に所属し戦闘時は応急処置に動員された。その他「歯科担当艦」とよばれた軍艦には[[歯科医]]が搭乗しており、「[[奏任官]]扱い」つまり[[士官]]に準じる身分・待遇で勤務していた。なお、彼らは[[文官]]もしくは嘱託職員の身分であった。その後[[太平洋戦争]]の激化に伴い、一部の軍属の文官から武官への転官が行われた。法務官→法務士官、歯科医→歯科医官、技手(読み方は「ぎて」、[[技官]]・技術者のこと)→技術士官などである。
海軍の軍属は軍属徽章を着用していた。徽章の裏面には識別番号が刻印されている。
また軍属は戦闘には積極的には関与しないが、戦闘によって死亡すると戦死とされ[[靖国神社]]に合祀されるのは軍人と同様であり、特に著しい功績があった際には軍人と同様に[[金鵄勲章]]が授与されることもあった。
その他、軍人の物とは異なる独自の制服・制帽・階級章が制定されていた(これらの点は[[大日本帝国陸軍|陸軍]]の軍属も同様である)。海軍の軍属は軍属徽章を着用していた。士官待遇用から傭人用まであり、徽章の裏面には識別番号が刻印されていた
 
 
[[徴用]]を受けた商船の船員の場合、海軍と船会社の契約にもとづいて派遣された関係であり、[[太平洋戦争]]中期までは非軍属の民間人という取り扱いがされていた。しかし、[[1943年]](昭和18年)1月に行われた閣議決定により、陸海軍の徴用船員は、原則として軍属とすることに変更された。戦時中にこのような変更がされたため、恩給などの待遇に隔たりが生じた。なお、戦後の[[戦傷病者戦没者遺族等援護法]]においては、[[1953年]]の改正により、民需船舶船員も含め[[船舶運営会]]船員は一律に「軍属」として支給対象に含まれることとなった。