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ノースサイド・ギャング('''The North Side Gang''')とはアメリカ合衆国イリノイ州シカゴに存在した[[アメリカ合衆国における禁酒法|禁酒法]]時代のギャングである。ライバルであるサウスサイド・ギャング(後の[[シカゴ・アウトフィット]])と凄惨な抗争を繰り返し広げた。
== 前史 ==
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== 抗争の幕開け ==
1924年10月10日、オバニオンは自身が経営する花屋にやってきた正体不明の3人組([[アルバート・アンセルミ、ジョン・スカリーゼ]]、[[フランキー・イェール]]といわれている)に殺害された(イェールではなくマイク・ジェンナという説もある)。5年間にわたるノースサイド・ギャングとサウスサイド・ギャングの抗争の幕開けである。
オバニオンの死後、ノースサイド・ギャングはハイミー・ワイスが跡目を継いだ。オバニオンの死の衝撃は大きかったが「統治委員会」を発足させ、すぐさまサウスサイド・ギャングに反撃する。1925年1月12日にワイスと[[ジョージ・モラン]]とヴィンセント・ドルッチはトーリオの副官である[[アル・カポネ]]を暗殺すべく彼の乗った車に発砲した。カポネは無傷だったが、その後は防弾装備を施した特殊車両に乗車するようになった。モランはカポネのボディーガードを誘拐し、情報を引き出す前に拷問して殺害した。