「マリー・アントワネット」の版間の差分

 
== 評価 ==
死刑が決定した直後のアントワネットがエリザベート内親王にあてた書簡には、「犯罪者として処刑されるのではないので、何ら恥ずべきことではない」といった内容が記されていた。民衆は、王妃の政治的無知さや、その結果としての民衆への配慮の欠如や、国費の浪費などに対して死刑という判決を下したとも考えられるが、上記の書簡から、その最期に至るまで民衆との乖離は正されなかったことが読み取れよう。その後、アントワネットの名誉回復には、結局死後三十五年以上を要した。現在では、マリー・アントワネットに対する悪評は、その殆どが中傷やデマだということが判明している。ただし彼女が一部の寵臣のみ偏愛し、ヴェルサイユの品位の低下などを招いたことは事実であり、彼女個人や[[王権]]そのものへの反対者たちによって、それらの失態が多大に誇張されてパリに意図的に流され、彼女や王権に対する悪意と憎悪がことさら生み出された。しかし一般に、マリー・アントワネットに対するフランス国民の怒りはむしろ革命が始まってからの方が大きいと言われている。彼女はフランスの情報をオーストリアなどに流し、[[反革命]]の立場をとった。このことがフランスの[[国益]]を外国に売った裏切り行為ととられ(外敵通牒)、それだけでも死に値する罪状となったのである。彼女自身は、[[絶対王政]]を維持する為に良かれと思ってした行為が、逆に大革命に火を付け、さらに燃え上がらせる結果となってしまうのである。<br>
その後、アントワネットの名誉回復には、結局死後三十五年以上を要した。現在では、マリー・アントワネットに対する悪評は、その殆どが中傷やデマだということが判明している。<br>
ただし彼女が一部の寵臣のみ偏愛し、ヴェルサイユの品位の低下などを招いたことは事実であり、彼女個人や[[王権]]そのものへの反対者たちによって、それらの失態が多大に誇張されてパリに意図的に流され、彼女や王権に対する悪意と憎悪がことさら生み出された。<br>
しかし一般に、マリー・アントワネットに対するフランス国民の怒りはむしろ革命が始まってからの方が大きいと言われている。彼女はフランスの情報をオーストリアなどに流し、[[反革命]]の立場をとった。このことがフランスの[[国益]]を外国に売った裏切り行為ととられ(外敵通牒)、それだけでも死に値する罪状となったのである。彼女自身は、[[絶対王政]]を維持する為に良かれと思ってした行為が、逆に大革命に火を付け、さらに燃え上がらせる結果となってしまうのである。
 
==「パンが無ければお菓子を食べればいい」==
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