「マリー・アントワネット」の版間の差分

 
==アントワネットと音楽==
アントワネットは、上記の通りウィーン時代に[[クリストフ・ヴィリバルト・グルック]]らから音楽を教わり、っていた。また彼女が7歳だった[[1762年]]9月、各国での演奏旅行の途上、[[シェーンブルン宮殿]]での[[マリア・テレジア]]女帝を前にした御前演奏に招かれた[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト]](当時6歳)からプロポーズされたという音楽史上よく知られたエピソードも持つ。後年ルイ16世の元に嫁いでからも[[ハープ]]を愛奏していたという。タンプル塔へ幽閉された際も[[ハープ]]が持ち込まれた。歌劇のあり方などをめぐるブフォン論争の折にはグルックを擁護し、彼のオペラのパリ上演の後援もしている。なお彼女は作曲もし、少なくとも12曲の歌曲が現存している。マリー・アントワネットの作品の多くはフランス革命時に焼き捨てられ、ごく一部がパリの国立図書館に収蔵されているのみである。<br>
後年ルイ16世の元に嫁いでからも[[ハープ]]を愛奏していたという。タンプル塔へ幽閉された際も[[ハープ]]が持ち込まれた。歌劇のあり方などをめぐるブフォン論争の折にはグルックを擁護し、彼のオペラのパリ上演の後援もしている。<br>
なお彼女は作曲もし、少なくとも12曲の歌曲が現存している。マリー・アントワネットの作品の多くはフランス革命時に焼き捨てられ、ごく一部がパリの国立図書館に収蔵されているのみである。
 
近年では"C'est mon ami"(それは私の恋人)などの歌曲がCDで知られるようになった。
 
[[2005年]]には[[ベルサイユのばら]]の作者でソプラノ歌手の[[池田理代子]]が、世界初録音9曲を含む12曲を歌ったCDをアントワネットの誕生日である[[11月2日]]に発売[http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20050518ih01.htm]。この曲が2006年上演の「[[ベルサイユのばら (宝塚歌劇)|ベルサイユのばら]]」で使用された。<br>
この曲が2006年上演の「[[ベルサイユのばら (宝塚歌劇)|ベルサイユのばら]]」で使用された。
 
==アントワネットと入浴・香水==
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