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'''江藤 夏雄'''(えとう なつお、[[1903年]]([[明治]]36年)[[7月9日]] - [[1968年]]([[昭和]]43年)[[1月28日]])は、日本の
== 経歴 ==
東京生まれ。父は江藤新平の二男で衆議院議員の[[江藤新作]]。冬に生まれた兄が冬雄と名付けられたのと同じく、夏に生まれたので夏雄と名付けられた。[[第五高等学校 (旧制)|第五高等学校]]、[[京都帝国大学]][[経済学部]]卒業後、[[南満州鉄道]]職員、[[満州国]]官吏、[[興亜院]]秘書官などを経て[[1946年]]3月、[[第22回衆議院議員総選挙]]に[[日本自由党 (1945-1948)|日本自由党]]所属として佐賀選挙区に出馬し初当選を果たす。その後、[[GHQ]]による[[公職追放]]の余波もあり2期に
議員としては、帝国議会時代に行われた[[第90回帝国議会]][[衆議院]][[帝国憲法改正小委員会]]に[[芦田均]](委員長)、[[北昤吉]]、[[廿日出厖]]、[[高橋泰雄]](以上自由党)、[[犬養健]]、[[吉田安]]、[[原夫次郎]](以上[[日本進歩党|進歩党]])、[[鈴木義男]]、[[森戸辰男]]、[[西尾末広]](以上[[日本社会党|社会党]])、[[林平馬]](共同民主党)、[[大島多蔵]](新政倶楽部)、[[笠井重治]](無所属倶楽部)とともに参加し、[[日本国憲法]]の誕生に関わった。また、[[第5次吉田内閣]]では[[防衛庁長官]][[木村篤太郎]]の下、防衛政務次官を務めている。
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[[Category:佐賀県選出の帝国議会議員]]
[[Category:佐賀県選出の衆議院議員]]
[[Category:日本の官僚 (1868-1949)]]
[[Category:南満州鉄道の人物]]
[[Category:満州国の人物]]
[[Category:公職追放者]]
[[Category:京都大学出身の人物]]
[[Category:江藤家|なつお]]
[[Category:佐賀県出身の人物]]
[[Category:1903年生]]
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