「ルキウス・ドミティウス・アウレリアヌス」の版間の差分

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さらに翌[[263年]]にはガリア帝国へ出兵、ほぼ無血で皇帝テトリクスを軍門に降らせた。こうしてアウレリアヌスは三分されていた帝国を再統一することに成功したのである。<br>
彼は広い視野を持ち、堅実な治世を行った。しかし、[[ササン朝ペルシア]]への遠征に向かう途中、叱責した秘書エロスが身の危険を感じ、仕組んだ謀略により味方に暗殺された。アウレリアヌスの死後、秘書エロスの謀略は露見しエロスは処刑された。<br>
現在残っているローマ市の城壁([[アウレリアヌス城壁]])は、彼の命によって建設されたものである。
 
== 参考文献 ==