「四十日抗争」の版間の差分

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*[[田英夫]]([[社会民主連合|社民連]]) 2票
 
この結果、誰も過半数の票を得ることができず、野党各党を退けた、自民党の上位2名による[[決選投票]]にまでもつれ込んだ。衆議院では大平138票・福田121票という投票結果となり、17票差という僅差で大平が指名された<ref>『大平正芳』 254頁。</ref><ref>[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/089/0001/08911060001002a.html 第089089回国会 本会議 第2号 昭和五十四年十一月六日(火曜日)]</ref>。野党各党は、[[新自由クラブ]]が1回目から大平に投票した他は決選投票では棄権に回り、また複数の党が協力して決選投票に駒を進めようとする動きも見られなかった。大平派が公明党を、福田派が民社党を取り込む動きもあったが、両党とも棄権を選んでいる。なお、[[参議院]]では1回目が大平78票・飛鳥田51票・福田38票と続き、大平と飛鳥田の決選投票となったが、福田派と[[ミニ政党]]の一部が大平に回った他は棄権に回り、大平97票・飛鳥田52票で、衆議院同様大平が指名されている<ref>[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/089/0010/08911060010002a.html 第089089回国会 本会議 第2号 昭和五十四年十一月六日(火曜日)]</ref>。
 
[[組閣]]において、首班指名で大平に投票した新自由クラブ<ref>『大平正芳』 255頁。</ref>と閣内連立を模索して閣僚入りさせようとしたが<ref name="oohira2">『大平正芳』 256頁。</ref>、反主流派が反発して組閣は難航した。[[11月9日]]、大平は[[文部大臣 (日本)|文相]]を自らが臨時代理として兼任する形で[[第2次大平内閣]]を発足させ、新自由クラブとの連立枠としての閣僚人事の余地を残す形で急場を凌いだが、11月20日、最終的に閣内連立を断念し、文相は自民党の[[谷垣専一]]を起用して<ref name="oohira2"/>抗争は一応終結した。
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[[Category:昭和時代戦後の政治]]
[[Category:1979年の政治]]