「宮城町」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
→‎交通: バス加筆
→‎存在した集落・地区: 折立は旧宮城町内ではない。
78行目:
== 存在した集落・地区 ==
{{雑多な内容の箇条書き|section=1|date=2011年4月}}
* [[愛子]](愛子中央・[[下愛子村|下愛子]]・[[上愛子村|上愛子]])
* [[愛子]]
** 宮城町役場(現・[[仙台市役所]]宮城総合支所)、および、[[仙山線]]・[[愛子駅]]が所在する町内の中心地。
** 町内の中心地。
* [[作並村|作並]]
* 折立
** 古くからの交通の要衝。[[仙台市都心部]]への玄関口であり、[[泉市]]の[[宮城県道37号仙台北環状線|仙台北環状線]]へのアクセス・ポイントにもなっている。
* [[作並]]
** [[作並温泉]]が存在する。
* 白沢
* [[熊ヶ根村|熊ヶ根]]
* 定義([[仙台弁]]:じょうげ、[[標準語]]・[[共通語]]:じょうぎ)
* [[西方寺 (仙台市)|定義]]
** [[源平合戦]][[平家落人]]の地とされる。古くから[[西方寺 (仙台市)|西方寺]](定義如来]]があることでも有名。
* [[大倉村 (宮城県)|大倉]]
** 大倉ダム建設により地区の一部分が水没。
* [[吉成|吉成・南吉成]]
** 北にある[[吉成]]地区は泉市。吉成地区と一体的に旧宮城県道37号仙台市との合併直前に開発された。北環状線|県道仙台北環状線]]沿いには数多くの[[ロードサイド舗]]が存在する。
* 落合
** 仙山線・[[陸前落合駅]]の乗車人員は[[高度経済成長]]期までは約500人/日あったが、1970年代に入ると約200人/日まで落ち込んだ。[[1983年]](昭和58年)に開校した[[宮城県宮城広瀬高等学校]]の最寄駅となって通学に利用されるようになると乗降客数が増加。すると、[[1984年]](昭和59年)より同線・[[仙台駅]] - 愛子駅間({{googleマップ経路図2|1=%E4%BB%99%E5%8F%B0%E9%A7%85,+%E3%80%92980-0021+%E5%AE%AE%E5%9F%8E%E7%9C%8C%E4%BB%99%E5%8F%B0%E5%B8%82%E9%9D%92%E8%91%89%E5%8C%BA%E4%B8%AD%E5%A4%AE%EF%BC%91%E4%B8%81%E7%9B%AE%EF%BC%91%E2%88%92%EF%BC%91|2=%E6%84%9B%E5%AD%90%E9%A7%85|3=@38.2505772,140.7757584,19517m|data=!3m1!1e3!4m14!4m13!1m5!1m1!1s0x5f8a2818859a8b09:0xe6e1aec140a8f98d!2m2!1d140.8821721!2d38.2603285!1m5!1m1!1s0x5f8a2be14c59e535:0x30b1209c93f97719!2m2!1d140.761345!2d38.272611!3e3}}、[[単線]]、[[営業キロ]]:15.2km)に区間列車が運行されるようになった。周辺に商業地・住宅地が発達し、近年は乗車人員が4000人/日に迫る勢いで増加している。
** [[仙山線]]の駅([[陸前落合駅]])があり、また昭和58年に[[宮城県宮城広瀬高等学校]]が開校したため、昭和50年代あたりから繁栄した。
* 新川・ニッカ
** [[1969年]](昭和44年)に落成し、観光コースも常設されている[[ニッカウヰスキー]]仙台工場・[[宮城峡蒸溜所]]がある。[[1970年]](昭和45年)までは[[八森スキー場]]もあった。また、[[1972年]](昭和47年)から造成された「[[西仙台ハイランド]]」(面積132.6ha、計画戸数1019戸)および「エバーグリーンにっかわ」(面積20.4ha、計画戸数304戸)といった[[別荘地]]も分譲された<ref>仙台圏 分譲地と住宅の案内 平成19年7月1日現在 / 月刊"住まいの情報"姉妹誌(フルタプランニング 発行)</ref>。
** [[ニッカウヰスキー]]仙台工場があり、観光地として親しまれている。
* 奥新川
** [[山形県]]境近くにあり、木材搬出の拠点だった地。[[奥新川駅#歴史]]参照
* 葛岡
** 広大な[[仙台市葛岡墓園]]がある。葛岡ごみ処理場に隣接して葛岡温水プールがある。
* 栗生
** 宮城町時代末に開発された住宅地。[[仙台西道路]]に直結しているため[[仙台市都心部]]へ短時間で行くことができる。
 
== 歴史 ==