「エドワード・オブ・ミドルハム」の版間の差分

編集の要約なし
編集の要約なし
[[1483年]]、父がイングランド王位に就くと、エドワードもまた[[プリンス・オブ・ウェールズ]](王太子)になった。叙任式典は[[ヨーク大聖堂]]で執り行われたが、同時代の資料によるとこの式典はかなり急いで手配されたことが伺える。恐らくエドワード少年は健康問題により[[ロンドン]]での両親の戴冠式にも出席できなかったため、体調の回復を待ってイングランド北部の[[ヨーク (イングランド)|ヨーク]]で式典を行ったのだろう。
 
翌[[1484年]]のエドワードの急死によって、父リチャードは後継者を失い(実子に代わって甥たち、クラレンス公の遺児[[エドワード・プランタジネット (ウォリック伯)|エドワード]]、次いで[[ジョン・ド・ラ・ポール (初代リンカーン伯)|リンカーン伯ジョン・ド・ラ・ポール]]を王位継承者に指名した)、父のライバルであるリッチモンド伯[[ヘンリー7世 (イングランド王)|ヘンリー・テューダー]]が王位を獲得する道を開いた。エドワードはシェリフ・ハットンの教区協会に埋葬された。
 
{{start box}}